BLOG ブログ

『こころ日誌・インスペクシオ』#29 決戦の後

『こころ日誌・インスペクシオ』#29 決戦の後

決戦の後

嵐が過ぎ去ったのを察したのだろう。吉田先生たちが職員室側のドアから一斉になだれ込んできた。

「終わった?」

金井先生が私に向かって、声を掛けてくれている。
心配してくれている視線を感じるけど...、なんだろう。頭が回らない。何を話していいか分からない。いや、話すだけじゃない。どう動いていいか分からない。動けなくなるって...こういうこと?

佐々木先生も膝の上で手を握りしめたまま、うつむいている。

「何があったんですか!?」
吉田先生の声......。
聞こえてはいるが、どこか遠くで話しているような、自分がそこにいないかのような感覚。

前に生徒が話していた......離人感?

――ガチャッ

廊下側のドアがあいて、橋本先生が戻ってきた。
「うわ~、外はホントに寒いわねぇ」
独り言のように呟きながら、両手をこすり合わせている。

「2人には本当、キツイ思いさせちゃったわね。安井先生、私の分も含めて、三つ熱いお茶を淹れていただけますか?」

「はい、ただちに!」
安井先生が慌ただしく動く気配。
急須にお湯が注がれる音。湯呑が触れ合う音。
それらの生活音が、遮断されていた私の感覚を少しずつ現実に引き戻していく。

「あ......古橋さん、帰られたんですね」

ようやく喉の奥から声を絞り出せた。

「えぇ。思った以上に手ごわい相手だったわね。常に大きな責任を負って働いていらっしゃる方の空気感って言うのかしら……」

安井先生がお茶をお盆に乗せて戻ってきた。

「まずはあったかいお茶を飲んで、切り替えましょう」

そう言って、安井先生の差し出したお盆から湯呑を取り上げようとした瞬間。

「あっ!ごめんなさい!」

橋本先生がお盆の上の湯呑をつかみ損ねたのか、倒してしまったらしい。

「大丈夫すか?」
安井先生が声を上げる。

「ええ、大丈夫。私にはかかってないので。安井先生も大丈夫だった?」
「はい、かかりませんでした。ラッキーす」
「本当ごめんなさいね。私ったら。廊下が寒すぎて、手が震えちゃったわ」

お茶のこぼれた床を拭くやり取りの横を、すぐに金井先生が代わりのお茶を出してくれた。

湯気が立つ湯呑を目の前に差し出され、私は無意識に両手でそれを包み込んだ。
掌に伝わる熱さが、冷え切っていた指先の感覚を呼び覚ます。
そのままゆっくりと口をつけ、熱い液体を喉に流し込んだ。
……染みる。
食道を通って胃の腑に落ちた熱が、身体の内側からじわりと広がる。
「あったかいです」
大きく息を吐くと、白い靄がかかっていた視界が、急速に色を取り戻していくような気がした。

なんとなく場が落ち着いたところで橋本先生が言う。
「この年の瀬に本当に皆さん、お疲れさまでした。検討しないといけないことはたくさんあります。まずは私と吉田先生とで週末中に教育委員会と協議します。他の皆さんは今日で勤務は最後ですよね。年が明けてから報告しますから、今日のところは各自仕事納めをしてご帰宅ください。加納先生も今日はありがとうございました。今日の分の勤務は別から振り替えるように事務さんに言っておきますね。勤務記録だけお願いします」

その言葉で場は解散となった。
仕事をやり終え、帰り支度が整った順に、各々退校していく。
「良いお年を」
互いに声を掛け合い、一人また一人と職員室を後にする。
私も今日の事前の打ち合わせ、保護者と教員との合同面接を簡潔に記録に落とし込み、それを吉田先生に提出してこの日を終えた。
「それでは失礼しますね。よいお年をお迎えください」
そう言って職員室を出る。
廊下の窓には、出かけるときに気合を入れて書いた眉やアイラインがむなしく映し出されている。その向こうの、来客者用の駐車場は既に、白い雪に覆われていた。そこに車が停まっていた事実すらなかったかのように。

ーーーーーーー

#30「あれから」へ👉