『こころ日誌・インスペクシオ』#25 打ち合わせ
打ち合わせ
学校の校門をくぐり、校舎内に入るも、静かであまり活気を感じない。ブーツを脱いで学校用のスリッパに履き替えると、氷の靴でも履いたような冷たさに、足が少したじろいでしまう。
全く暖房が効いていない廊下はとても冷たく、風がない分、外より幾分マシな程度だ。
普段なら廊下を行きかう生徒、先生の授業する声が耳に入ってくるのにそれもない。
年の瀬だもんね。
階段を上がり、突き当りを右に曲がると職員室だ。
――ガラッ
扉を開け、「こんにちは~」と挨拶をする。
あったか~い!
しっかりと暖房が効いた職員室。冬休みとは言え、事務作業が多いのだろう。多くの先生が出勤しているようだ。廊下の閑散とした雰囲気から異世界に来たような感覚を覚える。
「おぉ、加納先生、冬休みなのに悪いね」
私の入室に気づいて一番最初に声をかけてくれたのは、教頭の吉田先生。
「いえ、大丈夫です」
ホントはひかりと温泉行きたかったけど...。
「今日来る古橋のとこの親御さんについて聞いてる?」
「えっと、なんか安全配慮義務違反だって言って来てるとか」
「うん、それもそうなんだけど......。まぁ、いいや。校長室に入って」
そう言って職員室前の扉に誘導される。
――コンコン
吉田先生がノックした後に、扉を開けて言う。
「加納先生がいらっしゃいました」
「失礼します」
扉を抜けて校長室に入ると、中には佐々木先生、田中先生、金井先生も座っていて、私が来るのを待っていてくれたようだ。
橋本校長先生が
「こんにちは。よく来てくれました」
と言って、皆が座っている応接のソファーに、私にも座るように促してくれる。
私は着ていたコートを脱いで膝の前で二つに畳み、床に置いたトートバックの上に置くと、「失礼します」と言って、金井先生の隣に腰を下ろす。
「吉田先生、お茶を淹れていただけますか?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
と私が言うも、
「分かりました」
と言って吉田先生が退室する。
「すごい寒いわね。こんな日に本当にありがとうございます」
とても丁寧に迎えてくれている感じがする。
普段、私が出勤しても誰にも気づかれない、いつもの職員室とは明らかに雰囲気が違う。
すぐに吉田先生がお盆にお茶を乗せて戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私の前に出された湯呑から温かそうに湯気が立ち上っている。
本当は温かい湯呑で、まだ冷えている指先を温めたい気持ちもあるが、教頭である吉田先生にお茶を出させてしまったという事実に恐縮してしまい、手を付けることができない。
「それでは、この後いらっしゃる古橋先生についてなんですけど、皆さんで簡単に打ち合わせしたいと思います」
橋本先生が話を切り出した。
ん?先生?
「あ、古橋さんの親御さんって、同業の方なんですか?」
つい、私が誰に向けたわけでもなく言葉を発してしまう。
「同業ではないです」
と田中先生。
「え?でも、先生って」
「いえ。古橋のお父さんは、県議会の先生です」
ケンギカイ???
余りにも想像の外から入ってきた言葉に理解が追い付いてくるまで一瞬のタイムラグができる。
県議会の先生って、議員さんってこと?
いつもテレビでやってる、国会で討論しているあの人たち??
・・・じゃないわよね。
でも、私には遠すぎる世界で国会も県議会も同じくらいの距離に感じる。
私が混乱しているのを察してくれたのか、少し待ってから話を続ける橋本先生。
「田中先生、経緯をお願いします」
説明を求められ、田中先生が話し始めた。
「はい。終業式の日に電話をかけていらして、私が対応しました。先週の工藤のパニックに居合わせた古橋菜摘が、その場で過呼吸になり、その後登校できておりません。父親の訴えとしては、1年生のときのことも持ち出して、古橋は工藤が原因で学校に来れなくなったということです。安全配慮義務違反という言葉を使って、彼が暴れだすのは学校として十分に予見可能だったのに、それに対して適切に対処してこなかったって言って来ています。お電話ではちゃんとお話ができないので、一度ご来校いただくように私からお願いしました。もちろん古橋さんの社会的立場は理解していましたが、今回私が来校を依頼したのはあくまでも、本校生徒の保護者である古橋さんです」
と、吉田先生が言う。
「それは、軽率でした。いくら田中先生がそのつもりでも、相手は県議会議員です。県立高校である我が校にとっては、下手をすると教育委員会からも見放されかねません」
えっ?そうなの?田中先生の言ってること間違ってるの?
すごく正論に聞こえるのに。
そう思っていると、
「吉田先生。その視点も大事ですが、こういう事態になっていて、先方から問いただされている以上、遅かれ早かれお話しないといけません。それに...」
橋本先生が田中先生の方を向く。
「田中先生は、悔しかったんですよね。ご自身はもちろんのこと、工藤くんの辛さも、佐々木先生の頑張りも、もちろんここにいる金井先生や加納先生のご助力も、全部見てきてる田中先生にとって、それを全て否定された気持ちになられたのでしょう」
見ると、田中先生が涙ぐんでいる。
「勤務時間過ぎてるのにごめんなさいね」
私を労ってくれたあのときの田中先生の言葉が思い出される。
橋本先生は言う。
「多分、今日来校して、また同じ主張をしてくると思います。学校としては、菜摘さんと距離を取るように指導してきたこと、また継続的にカウンセリングを受けてもらっていることをお話するつもりです。その場には、私と佐々木先生、そして加納先生に入ってもらおうと思っています。本当は田中先生も入られたいと思いますが、堪えてください。古橋氏お一人に対してこちらがあまり大人数になると不要な刺激になりかねません」
覚悟はしていたが、やはり私は同席するメンバーに入っているんだ。
「佐々木先生には、生活指導部長として工藤くんを指導してきた経緯を必要であればお話してもらいます」
「わかりました」と佐々木先生。
「そして、加納先生の目から見て、学校として本当に予見可能だったのか。もし可能だったとしたらどう対処すれば良かったのかを外部の専門家という視点から説明していただけますか」
「先生、それだと、学校の対処が不十分だったって認めることになりかねませんか?」
と吉田先生。
さっき田中先生へのダメだしを諫められたのに、今度は橋本先生に食ってかかってる感じ?
「もし不十分だったのなら仕方ありません。その責任は私が負います。でも、学校としてできることはしてきました。加納先生、他にどういう対応策があったと思われますか?」
専門家の視点から......、そう言われて私は頭をフル回転させた。
菜摘へのつきまとい、広瀬とのトラブル、ゴミ箱への器物損壊......。
ASD......、PTSD......。
「このままいくと、いつかすごい犯罪を犯しちゃったりしないかって心配になります」
隣で心配そうな顔をしている金井先生を見るとあの時の言葉が思い出される。
「えっと...これまで何度か暴れていたという事実は、隠すことはできないと思います。だから......、予見可能だったと言われたら、その通りかもしれません」
そうよね。それは否定できない......でも。
「でも、だからと言って、どうすれば良かったって言うんですか。工藤くんはちゃんと入学試験をクリアしてこの学校に入学している生徒です。この学校で生活する権利を持っている生徒のはずじゃないですか」
なんの、専門性もない言葉しかでてこない。
「そうですよね。私もそう思います。現在、文科省はインクルーシブ教育を推進していて、障害を理由に退学させることを法的に禁止しています。もちろん先方に工藤くんの診断名を出してそれを伝えることはできませんが、古橋氏も立場のあるお方です。法的な制約をお話すれば、それに関しては強く出られないはずです。簡単に排除なんてことにしないよう、協力してくださいね」
橋本先生......相変わらずカッコいい。
「皆さんもよろしいですか?」
皆、顔を見合わせるが、発言する人はいない。
「校長先生、もうそろそろ時間になります。古橋先生を迎える準備をしましょう」と吉田先生。
「みなさん、よろしくお願いします」
それに合わせて、皆が一斉に腰を上げて席を立った。
ほんの数か月前、連絡会で橋本先生が締めたときと同じ言葉。
あのときは、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
ーーーーーーー
全く暖房が効いていない廊下はとても冷たく、風がない分、外より幾分マシな程度だ。
普段なら廊下を行きかう生徒、先生の授業する声が耳に入ってくるのにそれもない。
年の瀬だもんね。
階段を上がり、突き当りを右に曲がると職員室だ。
――ガラッ
扉を開け、「こんにちは~」と挨拶をする。
あったか~い!
しっかりと暖房が効いた職員室。冬休みとは言え、事務作業が多いのだろう。多くの先生が出勤しているようだ。廊下の閑散とした雰囲気から異世界に来たような感覚を覚える。
「おぉ、加納先生、冬休みなのに悪いね」
私の入室に気づいて一番最初に声をかけてくれたのは、教頭の吉田先生。
「いえ、大丈夫です」
ホントはひかりと温泉行きたかったけど...。
「今日来る古橋のとこの親御さんについて聞いてる?」
「えっと、なんか安全配慮義務違反だって言って来てるとか」
「うん、それもそうなんだけど......。まぁ、いいや。校長室に入って」
そう言って職員室前の扉に誘導される。
――コンコン
吉田先生がノックした後に、扉を開けて言う。
「加納先生がいらっしゃいました」
「失礼します」
扉を抜けて校長室に入ると、中には佐々木先生、田中先生、金井先生も座っていて、私が来るのを待っていてくれたようだ。
橋本校長先生が
「こんにちは。よく来てくれました」
と言って、皆が座っている応接のソファーに、私にも座るように促してくれる。
私は着ていたコートを脱いで膝の前で二つに畳み、床に置いたトートバックの上に置くと、「失礼します」と言って、金井先生の隣に腰を下ろす。
「吉田先生、お茶を淹れていただけますか?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
と私が言うも、
「分かりました」
と言って吉田先生が退室する。
「すごい寒いわね。こんな日に本当にありがとうございます」
とても丁寧に迎えてくれている感じがする。
普段、私が出勤しても誰にも気づかれない、いつもの職員室とは明らかに雰囲気が違う。
すぐに吉田先生がお盆にお茶を乗せて戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私の前に出された湯呑から温かそうに湯気が立ち上っている。
本当は温かい湯呑で、まだ冷えている指先を温めたい気持ちもあるが、教頭である吉田先生にお茶を出させてしまったという事実に恐縮してしまい、手を付けることができない。
「それでは、この後いらっしゃる古橋先生についてなんですけど、皆さんで簡単に打ち合わせしたいと思います」
橋本先生が話を切り出した。
ん?先生?
「あ、古橋さんの親御さんって、同業の方なんですか?」
つい、私が誰に向けたわけでもなく言葉を発してしまう。
「同業ではないです」
と田中先生。
「え?でも、先生って」
「いえ。古橋のお父さんは、県議会の先生です」
ケンギカイ???
余りにも想像の外から入ってきた言葉に理解が追い付いてくるまで一瞬のタイムラグができる。
県議会の先生って、議員さんってこと?
いつもテレビでやってる、国会で討論しているあの人たち??
・・・じゃないわよね。
でも、私には遠すぎる世界で国会も県議会も同じくらいの距離に感じる。
私が混乱しているのを察してくれたのか、少し待ってから話を続ける橋本先生。
「田中先生、経緯をお願いします」
説明を求められ、田中先生が話し始めた。
「はい。終業式の日に電話をかけていらして、私が対応しました。先週の工藤のパニックに居合わせた古橋菜摘が、その場で過呼吸になり、その後登校できておりません。父親の訴えとしては、1年生のときのことも持ち出して、古橋は工藤が原因で学校に来れなくなったということです。安全配慮義務違反という言葉を使って、彼が暴れだすのは学校として十分に予見可能だったのに、それに対して適切に対処してこなかったって言って来ています。お電話ではちゃんとお話ができないので、一度ご来校いただくように私からお願いしました。もちろん古橋さんの社会的立場は理解していましたが、今回私が来校を依頼したのはあくまでも、本校生徒の保護者である古橋さんです」
と、吉田先生が言う。
「それは、軽率でした。いくら田中先生がそのつもりでも、相手は県議会議員です。県立高校である我が校にとっては、下手をすると教育委員会からも見放されかねません」
えっ?そうなの?田中先生の言ってること間違ってるの?
すごく正論に聞こえるのに。
そう思っていると、
「吉田先生。その視点も大事ですが、こういう事態になっていて、先方から問いただされている以上、遅かれ早かれお話しないといけません。それに...」
橋本先生が田中先生の方を向く。
「田中先生は、悔しかったんですよね。ご自身はもちろんのこと、工藤くんの辛さも、佐々木先生の頑張りも、もちろんここにいる金井先生や加納先生のご助力も、全部見てきてる田中先生にとって、それを全て否定された気持ちになられたのでしょう」
見ると、田中先生が涙ぐんでいる。
「勤務時間過ぎてるのにごめんなさいね」
私を労ってくれたあのときの田中先生の言葉が思い出される。
橋本先生は言う。
「多分、今日来校して、また同じ主張をしてくると思います。学校としては、菜摘さんと距離を取るように指導してきたこと、また継続的にカウンセリングを受けてもらっていることをお話するつもりです。その場には、私と佐々木先生、そして加納先生に入ってもらおうと思っています。本当は田中先生も入られたいと思いますが、堪えてください。古橋氏お一人に対してこちらがあまり大人数になると不要な刺激になりかねません」
覚悟はしていたが、やはり私は同席するメンバーに入っているんだ。
「佐々木先生には、生活指導部長として工藤くんを指導してきた経緯を必要であればお話してもらいます」
「わかりました」と佐々木先生。
「そして、加納先生の目から見て、学校として本当に予見可能だったのか。もし可能だったとしたらどう対処すれば良かったのかを外部の専門家という視点から説明していただけますか」
「先生、それだと、学校の対処が不十分だったって認めることになりかねませんか?」
と吉田先生。
さっき田中先生へのダメだしを諫められたのに、今度は橋本先生に食ってかかってる感じ?
「もし不十分だったのなら仕方ありません。その責任は私が負います。でも、学校としてできることはしてきました。加納先生、他にどういう対応策があったと思われますか?」
専門家の視点から......、そう言われて私は頭をフル回転させた。
菜摘へのつきまとい、広瀬とのトラブル、ゴミ箱への器物損壊......。
ASD......、PTSD......。
「このままいくと、いつかすごい犯罪を犯しちゃったりしないかって心配になります」
隣で心配そうな顔をしている金井先生を見るとあの時の言葉が思い出される。
「えっと...これまで何度か暴れていたという事実は、隠すことはできないと思います。だから......、予見可能だったと言われたら、その通りかもしれません」
そうよね。それは否定できない......でも。
「でも、だからと言って、どうすれば良かったって言うんですか。工藤くんはちゃんと入学試験をクリアしてこの学校に入学している生徒です。この学校で生活する権利を持っている生徒のはずじゃないですか」
なんの、専門性もない言葉しかでてこない。
「そうですよね。私もそう思います。現在、文科省はインクルーシブ教育を推進していて、障害を理由に退学させることを法的に禁止しています。もちろん先方に工藤くんの診断名を出してそれを伝えることはできませんが、古橋氏も立場のあるお方です。法的な制約をお話すれば、それに関しては強く出られないはずです。簡単に排除なんてことにしないよう、協力してくださいね」
橋本先生......相変わらずカッコいい。
「皆さんもよろしいですか?」
皆、顔を見合わせるが、発言する人はいない。
「校長先生、もうそろそろ時間になります。古橋先生を迎える準備をしましょう」と吉田先生。
「みなさん、よろしくお願いします」
それに合わせて、皆が一斉に腰を上げて席を立った。
ほんの数か月前、連絡会で橋本先生が締めたときと同じ言葉。
あのときは、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
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