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『こころ日誌・インスペクシオ』#35 最後の日

『こころ日誌・インスペクシオ』#35 最後の日

最後の日

私はやすらぎルームにあるガスストーブの設定温度を目一杯高くした。
これから来る子が凍えた気持ちにならないように、少しでも心を温かくしてあげられるように。

――コンコン

いつものようにドアがノックされる。
扉を開けるとそこに立っていた少年はニソッとした笑顔を見せた。

「明日が土曜日ですから本日1月30日をもって工藤カケルは本校から退学となります」
今日の連絡会の吉田先生の言葉が私の中でリフレインする。

「よくきてくれました。どうぞお入りください」
私は声をかけて、彼を部屋の中央にあるソファーに誘導した。

在籍最後の日、荷物を取りに来たカケル。
金井先生の提案で、私とカケルとの面談が設定されていた。

でも......、なんて声かけていいか、分からない。
そして、カケルも何も話さない。
相変わらずささくれだった手をモジモジさせながら、その指先を見つめている。
二人の間に気まずい沈黙が流れていく。

「あの...」
今日で最後だから...このまま黙ってたら時間がもったいない。そう思って私は声を出した。

「あの......戦争で負けた国は蹂躙されるのよね。それでその後、どうなるの?」

私が聞きたいのは本当にそれなの?
ホントはカケルが今どう思ってるか、聞きたいんじゃないの?
広瀬くんや古橋さんとの間に何があったか、カケルの言葉で聞きたいんじゃないの?

私のそんな迷いなど伝わらないだろう。
カケルは話し出した。
「それは......戦勝国の支配下に置かれて、全部搾取されるんだ。資源も、金も、人も」
「それで、それから?」
「中世時代には戦勝国が負けた国を滅ぼして領土に併合したりしたんだけど、国際法が整備された今ではそれはない。戦勝国が領土を拡大することが許されちゃったら、それは他国の脅威になるからね。それに今の国際状況はそんなに単純じゃない。政治経済的に複雑な相互依存の上に成り立ってるから、一国が滅ぶと国際秩序の崩壊はいろんな国に及ぶんだ。第1次世界大戦後にドイツに多額の賠償金を求めたことがナチスを台頭させて、結果第2次大戦を誘発したのが良い例さ。それで、マーシャルプランで、敗戦国を管理しながら国際社会に取り入れていく流れになったんだ。そういう意味で、最終的には、復興支援されて、再建していくケースが多いんだ」

なんか...聞いてて涙腺が緩んでくる。

「工藤くん!」

私の呼びかけにカケルは語るのをとめた。

「私...、何にも助けになれなかった。あなたの助けになれなかった」
なんでだろう。
こんなのプロ失格なのは分かってる。
でも......涙が止まらない。

そんな私を見て、カケルは何を考えるの?
何を感じるの?

分からない。
ただ......カケルは......ニソッと笑って言った。

「先生とのカウンセリングは、楽しかったよ」

え?
なんで、なんで?
どういうこと?
私はただ......人形みたいに座ってただけ。
必死に眠気と戦ってただけなのに。

「工藤くん、お願いがあるの。学校から離れても、絶対に病院にはつながっててくれる?あなたを助けてくれる病院に、」
「もう、」
私の言葉に被せるようにカケルは言った。
「病院はいいかな。行っても薬出されるだけだし。薬飲んでも、何も変わらないよ」

社会への痛烈な拒否。
それは、そうか。
あんなに傷つけられて来たんだもんね。

「でも......、」
なんとか説得したいが言葉が続かない。

「まぁ、いいよ。結局......社会のインスペクシオは、オレを見逃さなかったってことだよ」

「いんす?」

「前にも言ったろ?欠陥品を見逃さずに排除するための監視さ」

「そんな!あなたは欠陥品なんかじゃない!」
なんとかカケルに前を向いてほしい。
人生を諦めないで欲しい。
そう思って、精一杯伝えた私の言葉にも、彼はニソッといつもの笑いを浮かべるだけだった。

「あの......、病院じゃなくて、民間のカウンセリングならどう?」

「民間のカウンセリング?」

「あなたを薬でなんとかしようとしないところ。ただありのままのあなたを肯定してくれるところ」

「そんなところ、あるわけないよ」

私は、用意していたHPをプリントアウトした紙を取り出して、カケルに見せた。

「ここなら、あなたのこころの傷を...ちゃんと癒してくれるのかも」

私が渡した紙に半信半疑な表情で視線を落とすカケル。

「ふ~ん。ここ薪ストーブがあるんだ。火薬の燃焼とは違うけど、炎のゆらぎには1/fゆらぎがあるから、生体リズムと同調する効果はあるかもな。まぁ、一応もらっておくよ。多分行かないけどね」

そう言うとカケルはその紙を折りたたんで、ポケットにしまった。

「工藤くん...」

「もう...終わりだね」

そう言うとカケルは、スッと立ち上がった。
そして、これが最後だという感傷など感じる様子もなく、いつものようにやすらぎルームの扉に向けて歩き出す。

――ガラッ

ドアを開けて廊下に出ると、「じゃ、さよなら」と言って、私に背を向けて歩いていく。

「さようなら」

私はカケルが廊下を曲がり階段を下りて見えなくなるのを見送っていた。
カケルがポケットにしまったHPを印刷した紙。
なんとかつながってくれることを祈るしかできなかった。

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