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『こころ日誌・インスペクシオ』#32 広瀬大樹

『こころ日誌・インスペクシオ』#32 広瀬大樹

広瀬大樹

5時間目の授業が始まるチャイムが聞こえた。
生徒を迎える準備を終えて、私は一息ついた。ものすごく動揺しているのが自分でも分かる。これから来る生徒、広瀬大樹を、私はどんな顔をして迎えたらいいんだろうか......。
どうしても、心の整理がつかない。

でも、私の胸が葛藤に押しつぶされそうになっていることなんてお構いなしに時間は流れていく。

――ガラッ

ノックもなしに急にやすらぎルームの引き戸が開けられた。
少しびっくりして私が目を向けると、まだ中学生と言われても信じちゃいそうな男の子が制服に身を包んで入ってきた。

「あ、こんにちは。2年生の広瀬くんね」
私が言うと、「あぁ」と小さく返事をし、いかにも斜に構えたような歩き方でそのまま部屋の中頃まで入ってくる。
そんなに似ているとは思わないけど、なんとなく父親の顔が思い出される。

「初めまして。カウンセラーの加納さゆりって言います。どうぞお座りください」
私に勧められて、ソファーにドカッと座る広瀬の態度に、私のお腹は自然とムカムカを覚えていた。

だが、それは表情には出さないように聞いた。
「あの、今日はどうしてカウンセリングにくることになったんですか?」
「佐々木がカウンセリング行けって」

佐々木......先生のことよね。

「どうしてそう言われたか分かりますか?」
「まぁ、学校事情ってヤツ?」

以前、カケルにカウンセリングするのも、学校のアリバイ工作だと私も思った。それをこの広瀬は学校事情って表現してるんだろう。
でも、なんか、ムカムカしている自分を抑えるのが苦しい。

「動画を撮って拡散したって聞いたけど?」
言い方が少し刺々しくなったかもしれない。
しかしそれに対して広瀬は馬鹿にしたような半笑いを浮かべた。

「あれ、俺は悪くないし」
平然と言う。

「俺があの動画撮ってなかったら、あんな事件起こしておいて、学校は隠蔽して終わり。本当学校ってどこまでも腐ってるよな。自分たちの保身のために告発した俺が謹慎になるんだから」

とても反論したい気持ちを抑えつつ、
「うんうん。学校の処分に納得いってないんですね」
といつもの200倍くらい無理して共感を伝える。

「いくわけないじゃん。学校なんて本当建前と保身だけの場所だし」

私はカケルの記録を思い出していた。
「広瀬くんって、工藤くんと前もケンカしてたって聞いたけど」
「俺、本当アイツ嫌い。うざい。いつもニタニタ笑って、空気読めないし。こっちの言うこと何も聞かないでわけわからん事ばっかり言うし」

こんなに無警戒に本音を話す広瀬もまた、抱えきれない攻撃性をため込んでいるのか。
そんな想像をしながら、
「そんなに嫌いなんだね」
と返す。

「ムカつくわ。ケンカの件で言うと、アイツ、絶対古橋って女子のこと好きなんよ。あの今回アイツが襲い掛かった子ね」

この子の中では襲い掛かったことになってるんだ......。
そう言えば、以前胸ぐらを締め上げられた時も、父親は殴られたって言ってたわよね。
話を盛っちゃう子なのね。
瞬時にそんなことを考えたが、彼の話は止まらない。

「1年のとき、去年の今頃か、アイツ、渡りのところでずっと古橋のこと、遠くから見てて、超キモかった。そんな風に見られたら古橋だって絶対迷惑だし。だから、丁度あった水撒き用のホースで水かけたったら、すごい勢いでこっちに怒ってきて超ウケた。アイツなんでも本気に取ってすぐカッとなるのもウケる。本当アイツ、今回の件で退学になればいい」

なんなの、この子の悪意は?
私はギュッとこぶしを握って、吐き気がするほどの憎悪感を押し殺すことに自分のエネルギーの大半を注いだ。

「アイツがいなくなれば、学校のみんながどれだけせいせいすることか」

胃がキリキリする。

「ホント、死ねばいいのに」

私は...精一杯、感情を押し殺して...聞いていた。
普段なら入れる相槌や頷きは入っていなかったかもしれない。

「あぁ、もう時間でしょ。これでいい?」

「これでいいって?」
「もう俺カウンセリング受けたことになったでしょ?」
「あ、はい、そ、そうね。今日は......よく来てくれました。また...困ったことがあったら申し込んでください」
「は~い、ありやっしたー」
彼は足取り軽く部屋を出て行った。
その後ろ姿は、「禊は済んだ。もう俺はここに用はない」というメッセージを雄弁に語っていた。

ベクトルは違うんだけど...同じ空間にいるのがここまでしんどいのは、あの古橋さんと同等かも。

そんな思考が浮かんでいた。

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