BLOG ブログ

『こころ日誌・インスペクシオ』#31 デジタルタトゥー

『こころ日誌・インスペクシオ』#31 デジタルタトゥー

デジタルタトゥー

時が止まった気がした。
退学?
自主……退学?
「……え?」
私の口から漏れた小さな音は、誰にも拾われることなく、会議はそのまま進行していく。
「次の進路については未定ですが、通信制への転学を勧めています。現在は自宅謹慎中ですが、籍があるうちは……」
田中先生の声が遠のいていく。
嘘でしょ?
あんなに、「排除しない」って言ったのに。
橋本先生は、古橋さんの目を見て、はっきりと言い切ったはずだ。
なに?なにがあったの?

私の思考が混乱している間にも田中先生の報告が続く。
「工藤の件に関連して新たな事案が出てきています。同じクラスの広瀬大樹です。先月の工藤がパニックになったとき、その様子を広瀬がスマホで撮影し、何人かのグループで共有していた事実が確認されました。この件に関して、佐々木先生から詳細をお願いします」

「はい。年が明けて1月5日、部活初日でした。私が顧問をしているサッカー部員が私のところに来て、こんな動画が回ってきたと言って知らせてくれました。内容としては床にかがんでいる古橋に対して工藤が大声で威嚇してそのまま立ち去るというほんの数秒の動画です。それでサッカー部員に確認をしたら、動画の拡散元が広瀬であることが分かりました。すぐに広瀬に登校させ、指導しました。動画はその場で削除させ、その後、謹慎処分にしています。広瀬は既に反省文を提出しており、今日の午後加納先生のカウンセリングを受けさせて、来週から復帰させる流れです。加納先生、よろしくお願いします」

それで...特別指導案件...。

入ってくる情報を整理しようと頭の中で反芻するが処理能力が追い付かない。結局その後の会議の報告事項はまるで入ってこないまま、その日の連絡会が終わった。

ふと気づくとみんな席を立って小会議室から退室しているところだ。
「あの、校長先生!」
私は橋本先生を呼び止めた。
「はい」
そう言うと私の方を見たその顔は、いつもの穏やかな橋本先生そのものだ。
「あの......」
うまく言葉が出ない私を見て、先生から言う。
「ちょっと校長室でお話しましょうか」

私を校長室に招き入れると、橋本先生はソファーに座るように促した。
「失礼します」
そう言って私が座ると、橋本先生も同じように腰を下ろした。
それと同時に、
「私が甘かったわ」
と言う。
「どうしてこんなことになっちゃったんですか?」
私は率直に聞いた。

「あの日……26日の面談の後、私と教頭は週末に教育委員会と協議をするつもりだったの。だけど、古橋氏はそれより早かった」
橋本先生が静かに語り始めた。
「翌日の27日土曜日には、既に教育委員会の方に古橋氏から連絡が入っていたの。工藤くんの件を『いじめ重大事態』として直ちに調査せよ、って」
「いじめ……重大事態......」
「ええ。被害生徒が不登校になっている以上、法の要件を満たしちゃうのよね。古橋氏、学校が隠蔽しないように、第三者委員会による調査と、全校生徒へのアンケート調査を強く求めてきたわ。教育委員会としても、相手が県議会議員であり、法に則った主張である以上、無視できるわけがない。それで年明け早々、私達にアンケート実施の指示が下りてきたの」
「アンケートって……あの一件についてですか?」
「それだけならまだいいわ。要求されているのは、工藤くんの『これまでの言動すべて』についてよ」
そこまで聞いて、私は血の気が引くのを感じた。
「さらに……悪いことは重なるのよね。佐々木先生から広瀬くんの動画の件の報告が入ったの。全部......工藤くんにとっては不利な要素ばかり」
「でも、だからって...退学にしなくても」

「もし退学なんてことになったら、本当、どうしていいのか」
カケルの母親のすがるような顔が思い出される。

「このまま、」
橋本先生が一旦言葉を切った。
「彼がウチに残ったとして、出回った動画は回収不可能よ。どこまで広まってるのかも分からない。もしアンケートを実施すれば、彼のこれまでの奇行や、他生徒への迷惑行為が大量に掘り起こされる。動画の印象も相まって、全校生徒、全保護者からの『工藤排除』の声は決定的になるでしょう。そうなったとき……いじめの加害者として断罪される工藤くんを、学校はもう守り切れない。それに...」
橋本先生が更に一息ついて、とても真剣な表情で私を見た。
「古橋氏が今回の件をマスコミに流しでもしたら、校内だけの問題じゃなくなる。全国の好奇の目が彼に注がれる。あの動画だってニュースで流されるかもしれない。名前や住所、家族まで特定されて、ネット上にデジタルタトゥーを残してしまうことになる。そうなるともう......勝ち目はないわ。だからそうなる前に、6日の日に工藤くん本人とお母さんを呼んで話をしたの」

「そんな......そんなことがあっていいんですか?先生、工藤くんを排除させないって、法的な責務があるって、言ってたじゃないですか!」
「本当......やりきれないわね」

とても胸が苦しい。
私は...本当に何もできなかった。

ーーーーーーー

#31「広瀬大樹」へ👉