こころ日誌#2
出会い
20〷年11月4日 #1 初回受理面接
私はインターホンの応対ボタンを押し、「は~い」とできるだけ朗らかに返事をする。間を置かずに、少しハスキーに「1時に予約の山野です」という女性の声がスピーカーを通して聞こえてくる。私は、優しい口調を心がけながら「どうぞ、お入りください」と伝えて待った。するとすぐに玄関の方で人が入ってくる気配を感じる。
「カランカラ~ン」
ドアベルの音とともに相談室の扉が開いた。
「失礼します」
先ほどのハスキーな声とともに二人の女性が入室してきた。
一人は中肉中背の中年女性。40前後だろうか。余り詳しくない私には分からないのだが、けばさは感じさせずナチュラルな化粧なのだと思わせる。見鼻立ちの整ったキャリアウーマン的な印象を受けた。
そしてその女性の後に隠れるように入ってきたのがカオリだ。身長は母親と同じくらい。白いトレーナーにデニムといった部屋着ともとれそうなダボっとした上下の服装だが、印象としてはやや細目に見える。背中までありそうな髪の毛は後ろで一つにまとめられている。大きめのマスクで顔の下半分がおおわれているため、彼女の表情を判断する材料は目しか与えられていない。そしてその目も伏目がちである。
「簡単に最初から心を開いてつながれるケースではなさそうだな」
それが私が抱いた最初のカオリに対する印象だった。
そんなことを考えながらも二人を部屋の中央にある木製のテーブルの前に招き入れ、「初めまして。カウンセラーの鈴木です。今日はようこそおいでくださいました。どうぞこちらにお座りください」と声をかける。
カオリの小さな肩が緊張で少しすくんでいるのが見える。二人が着席するのを待ってから、「お茶をお出ししますね」と声掛けし、奥のキッチンに移動した。グラスに注がれたウーロン茶と近所のスーパーで買ってきた個包装のクッキーを一袋ずつ皿に乗せ、それらをお盆に乗せて二人の前に差し出した。
母親は丁寧に「ありがとうございます」と言い、その隣でカオリは無言で座っている。決して私に目を合わせることはない。
お盆を下げると、私も対面に座り改めて挨拶をした。
「今日は当相談室にお越しくださりありがとうございます。ようこそおいでくださいました。まずは相談を申し込まれた勇気と行動力に何よりの敬意をお伝えします」
これは私がいつも初回のクライアントに最初に伝える内容だ。定型文ではあるが、決して口先だけで言っているつもりはない。カウンセリングを申し込むクライアントは、私のホームページにたどり着き、更に予約フォームをクリックし、申し込み画面で何度も何度も躊躇しながら必要事項を記入し、本当に思い切って持てる力を振り絞って最後に送信ボタンを押す。そのことをよく分かっているからこそ、毎回心を込めてクライアントを称えることを欠かさないようにしている。その私の思いが伝わったかどうかは分からない。母親は作り笑いで私の声掛けに応じ、カオリは無反応であった。
「申し込みフォームのご記入ありがとうございました。カオリちゃんの不登校について相談したいということでしたが」と促すと、それに応えて母親が話し始めた。
「今この子が学校に行けてないんです。何か嫌なことがあるんだと思うんですけど、聞いても答えてくれなくて。もともと小学校の頃も緊張が強い子で、友達も上手に作れないんです。今回も友達関係で何かあったんじゃないかと思うんですが、言わないんですよね。そういうところ頑固なんです」説明口調の中にも困っている感じが受け取れる。
「そうなんですね。教えていただいてありがとうございます」と母親に伝えた後、私はカオリの方に顔を向けた。
「お母さん、こう言ってるけど、カオリちゃんは何か困っていることがあるの?」と問いかけるも、カオリは無反応だ。
少しの間があった後に母親がまた話し出す。
「いつもこうなんですよ。学校のこと以外なら話せるんですけどね。学校に関係することになると途端に固まっちゃって何も話してくれません」
母親の言葉の響きには、困り感だけでなく、苛立ちが感じられる。
「そうなんですね。ごめんね。初対面のおじさんにいきなりこんな風に聞かれて、なんて答えていいか分からないよね。緊張してるかな」と問いかけるがやはり反応は読み取れない。このカオリの反応は私を無視していると言うよりも、極度の緊張により心身が凍り付いてしまっているのだろう。
「じゃ、今日はカオリちゃんは無理して話さないでいいから、ちょっと緊張をほぐす練習から始めていきましょう」と誘いかける。無反応で表情の硬いカオリの全身が見えるように私は自分の椅子を移動させ、カオリに向かって座りなおす。そして、カオリにもこちらに向き直って私に対面して座ってもらうように促した。
「今からね、僕とカオリちゃんの波長を合わせる運動をしていきたいんだ。僕は今から息を吸うときに手を上げます。そして吐くときに下げます。そうすると僕の呼吸が今吸ってるのか吐いてるのか目で見て分かるでしょ?ちょっと僕の呼吸に合わせてカオリちゃんも呼吸してみてほしいの」と誘いかける。
そして私は4秒で吸って1秒止めて6秒で吐く、いわゆる10秒呼吸法をして見せる。リラックスを促す呼吸の基本である。更に人間には空気を吸うとき心拍は早くなり、吐くときに遅くなるという特徴がある。その心拍の速い遅いのリズムをできるだけ一定に保つ呼吸。これは10秒呼吸法とは別にHRV呼吸法と呼ばれるもので、こちらもリラクゼーションの技法だ。これらの呼吸を同時に行い、更に胸式呼吸を心がけることで、人とのつながりの中で安心感が増すということも私は知っている。
私が呼吸を主導すると、カオリはおどおどしながらも、私が上下させる手の動きに合わせて自分も小さく手を上下させながら呼吸を真似してくれる。
「上手上手。その調子です」「できるだけ胸式呼吸を意識してね」「苦しくないですか?」などの声掛けしながら呼吸を続ける。
しばらくして、「では今度はカオリちゃんが、呼吸を主導してくれますか?僕がカオリちゃんのペースに合わせるから」とお願いしてみる。
すると言われたようにカオリは手を小さめに上下させながら呼吸をする。私が先に主導した10秒呼吸に比べるといささか早いペースだが、カオリなりにゆっくり呼吸するように努めているように感じられた。
そのペースに合わせて私も呼吸をしながら、「カオリちゃんの呼吸からカオリちゃんの気持ちが伝わってきます。とっても頑張ってくれてるね」と声をかける。
カオリは私の声掛けにピンと来ていないようではあるが、同じ動作を続けている。しばらくした後、「じゃ、今度はまた僕のペースで呼吸してくれるかな」と言って役割を交代する。これを交互に続ける。お互いの真似をお互いにし続けるという単純な行動だが、これをしていくうちに自律神経の共鳴という現象が起こる。私のリラックスがカオリにも伝搬するのだ。緊張の強いクライアントには効果的なかかわりの一つである。
初回受理面接は60分の設定だ。本当はカオリとの関係を深めるため、時間いっぱい続けたいところだが、それだけで初回を終わるわけにはいかない。なので、残り時間30分を切ったくらいのところで、一旦この作業をストップした。
「カランカラ~ン」
ドアベルの音とともに相談室の扉が開いた。
「失礼します」
先ほどのハスキーな声とともに二人の女性が入室してきた。
一人は中肉中背の中年女性。40前後だろうか。余り詳しくない私には分からないのだが、けばさは感じさせずナチュラルな化粧なのだと思わせる。見鼻立ちの整ったキャリアウーマン的な印象を受けた。
そしてその女性の後に隠れるように入ってきたのがカオリだ。身長は母親と同じくらい。白いトレーナーにデニムといった部屋着ともとれそうなダボっとした上下の服装だが、印象としてはやや細目に見える。背中までありそうな髪の毛は後ろで一つにまとめられている。大きめのマスクで顔の下半分がおおわれているため、彼女の表情を判断する材料は目しか与えられていない。そしてその目も伏目がちである。
「簡単に最初から心を開いてつながれるケースではなさそうだな」
それが私が抱いた最初のカオリに対する印象だった。
そんなことを考えながらも二人を部屋の中央にある木製のテーブルの前に招き入れ、「初めまして。カウンセラーの鈴木です。今日はようこそおいでくださいました。どうぞこちらにお座りください」と声をかける。
カオリの小さな肩が緊張で少しすくんでいるのが見える。二人が着席するのを待ってから、「お茶をお出ししますね」と声掛けし、奥のキッチンに移動した。グラスに注がれたウーロン茶と近所のスーパーで買ってきた個包装のクッキーを一袋ずつ皿に乗せ、それらをお盆に乗せて二人の前に差し出した。
母親は丁寧に「ありがとうございます」と言い、その隣でカオリは無言で座っている。決して私に目を合わせることはない。
お盆を下げると、私も対面に座り改めて挨拶をした。
「今日は当相談室にお越しくださりありがとうございます。ようこそおいでくださいました。まずは相談を申し込まれた勇気と行動力に何よりの敬意をお伝えします」
これは私がいつも初回のクライアントに最初に伝える内容だ。定型文ではあるが、決して口先だけで言っているつもりはない。カウンセリングを申し込むクライアントは、私のホームページにたどり着き、更に予約フォームをクリックし、申し込み画面で何度も何度も躊躇しながら必要事項を記入し、本当に思い切って持てる力を振り絞って最後に送信ボタンを押す。そのことをよく分かっているからこそ、毎回心を込めてクライアントを称えることを欠かさないようにしている。その私の思いが伝わったかどうかは分からない。母親は作り笑いで私の声掛けに応じ、カオリは無反応であった。
「申し込みフォームのご記入ありがとうございました。カオリちゃんの不登校について相談したいということでしたが」と促すと、それに応えて母親が話し始めた。
「今この子が学校に行けてないんです。何か嫌なことがあるんだと思うんですけど、聞いても答えてくれなくて。もともと小学校の頃も緊張が強い子で、友達も上手に作れないんです。今回も友達関係で何かあったんじゃないかと思うんですが、言わないんですよね。そういうところ頑固なんです」説明口調の中にも困っている感じが受け取れる。
「そうなんですね。教えていただいてありがとうございます」と母親に伝えた後、私はカオリの方に顔を向けた。
「お母さん、こう言ってるけど、カオリちゃんは何か困っていることがあるの?」と問いかけるも、カオリは無反応だ。
少しの間があった後に母親がまた話し出す。
「いつもこうなんですよ。学校のこと以外なら話せるんですけどね。学校に関係することになると途端に固まっちゃって何も話してくれません」
母親の言葉の響きには、困り感だけでなく、苛立ちが感じられる。
「そうなんですね。ごめんね。初対面のおじさんにいきなりこんな風に聞かれて、なんて答えていいか分からないよね。緊張してるかな」と問いかけるがやはり反応は読み取れない。このカオリの反応は私を無視していると言うよりも、極度の緊張により心身が凍り付いてしまっているのだろう。
「じゃ、今日はカオリちゃんは無理して話さないでいいから、ちょっと緊張をほぐす練習から始めていきましょう」と誘いかける。無反応で表情の硬いカオリの全身が見えるように私は自分の椅子を移動させ、カオリに向かって座りなおす。そして、カオリにもこちらに向き直って私に対面して座ってもらうように促した。
「今からね、僕とカオリちゃんの波長を合わせる運動をしていきたいんだ。僕は今から息を吸うときに手を上げます。そして吐くときに下げます。そうすると僕の呼吸が今吸ってるのか吐いてるのか目で見て分かるでしょ?ちょっと僕の呼吸に合わせてカオリちゃんも呼吸してみてほしいの」と誘いかける。
そして私は4秒で吸って1秒止めて6秒で吐く、いわゆる10秒呼吸法をして見せる。リラックスを促す呼吸の基本である。更に人間には空気を吸うとき心拍は早くなり、吐くときに遅くなるという特徴がある。その心拍の速い遅いのリズムをできるだけ一定に保つ呼吸。これは10秒呼吸法とは別にHRV呼吸法と呼ばれるもので、こちらもリラクゼーションの技法だ。これらの呼吸を同時に行い、更に胸式呼吸を心がけることで、人とのつながりの中で安心感が増すということも私は知っている。
私が呼吸を主導すると、カオリはおどおどしながらも、私が上下させる手の動きに合わせて自分も小さく手を上下させながら呼吸を真似してくれる。
「上手上手。その調子です」「できるだけ胸式呼吸を意識してね」「苦しくないですか?」などの声掛けしながら呼吸を続ける。
しばらくして、「では今度はカオリちゃんが、呼吸を主導してくれますか?僕がカオリちゃんのペースに合わせるから」とお願いしてみる。
すると言われたようにカオリは手を小さめに上下させながら呼吸をする。私が先に主導した10秒呼吸に比べるといささか早いペースだが、カオリなりにゆっくり呼吸するように努めているように感じられた。
そのペースに合わせて私も呼吸をしながら、「カオリちゃんの呼吸からカオリちゃんの気持ちが伝わってきます。とっても頑張ってくれてるね」と声をかける。
カオリは私の声掛けにピンと来ていないようではあるが、同じ動作を続けている。しばらくした後、「じゃ、今度はまた僕のペースで呼吸してくれるかな」と言って役割を交代する。これを交互に続ける。お互いの真似をお互いにし続けるという単純な行動だが、これをしていくうちに自律神経の共鳴という現象が起こる。私のリラックスがカオリにも伝搬するのだ。緊張の強いクライアントには効果的なかかわりの一つである。
初回受理面接は60分の設定だ。本当はカオリとの関係を深めるため、時間いっぱい続けたいところだが、それだけで初回を終わるわけにはいかない。なので、残り時間30分を切ったくらいのところで、一旦この作業をストップした。