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発達障害は「笑いのネタ」にしていいのか──動画炎上から考える、当事者と専門家のすれ違い

発達障害は「笑いのネタ」にしていいのか──動画炎上から考える、当事者と専門家のすれ違い

最近、精神科の先生方のYouTube動画がSNSで話題になっていました。
登場する先生方のエピソードから、発達障害傾向の強さをランキング付けするというものです。

それに対して、Xでは、

「発達障害をエンタメ化するな」

「苦しんでいる当事者の気持ちが分かっていない」

「そんなポンコツなら医師免許を返納すべきだ」

といった強い反発が寄せられていました。

この反応を見て、私は改めて
「発達障害をめぐる当事者と専門家の間のすれ違い」
について考えさせられました。

この記事では、

なぜこのようなすれ違いが生まれるのか、そしてどうすれば歩み寄れるのか

という視点から整理してみたいと思います。

当事者の苦しみは、本当に深い

まず最初に強調したいのは、
発達障害の当事者が抱える苦しみは、決して軽いものではないということです。

学校や職場での失敗体験の積み重ね

周囲からの誤解や否定的なラベリング

自分でもコントロールできない行動への自己嫌悪

「努力不足」と言われ続けてきた歴史

こうした経験を長年積み重ねてきていることにより、
「自分だって、好きで特性もちで生まれてきたわけじゃない」
「こんな特性のせいで、自分はこんなに苦しんでいる」
更に、「健常者にはこの苦しみは分からない」
という思いを強くするのは当然のことです。

だからこそ、今回の動画で先生方が語っている特性が、
「自分たちが苦しんでいるものよりも、全然軽いじゃないか!」
「その程度で、僕らの苦しみを理解した気になるな!」
と、特性を軽く扱われたように感じると、強い怒りが湧いてしまう。

これは本当に、当事者の「これまでの苦しみの深さ」を考えると納得のいく反応です。

一方で、動画の中で語られる先生方の語りには“希望”が含まれている

では、動画の精神科医は当事者を軽視していたのでしょうか。

私はそうは感じませんでした。

むしろ彼らの語りに、発達特性に対する深い愛情を感じました。

動画の中では、
「特性は悪いものじゃない」
「ランキング上位なのは、名誉なことだ」と言っていました。

ここに先生方の専門性が見えたと思います。

彼らがこの動画を通して伝えたかったのって、単なるエンタメというよりも、

自分たちにも発達特性がある

それでも社会でやれている

特性=生きづらさの原因ではない

環境調整やスキルで適応できる

という 「発達障害は絶望のラベルではない」 というメッセージを伝えようとしていたように思いました。

これは臨床の現場でも非常に重要な視点です。

発達障害の困難は、
特性そのものよりも、特性と環境のミスマッチによって生まれる
というのは、支援の基本原理です。

つまり、
特性があっても、環境が整えば人は十分に適応できる。
その希望を示したかったのではないかと感じます。

では、なぜ両者はすれ違ってしまうのか

ここに、発達障害領域特有の構造の難しさがあります。

●① 苦しみの渦中にいる人は「希望」を否定と感じる
当事者にとって、
「特性があってもやれている人」の存在は、
自分の苦しみの説明モデルを揺さぶるものです。

「特性のせいでこんなに苦しんできた」という当事者に対して、
「それは、特性のせいじゃなくて、お前のせいだよ」と言われている感じがしてしまうのではないでしょうか。

●② 専門家は「希望」を伝えたい
専門家は、当事者の未来を閉ざさないために、
「特性=人生の詰みではない」という視点を示したい。

しかしその語りが、
当事者には「軽視」に見えてしまう。

●③ SNSは感情を増幅させる
専門家たちの一方通行の発信に対して、短い文脈で反論する。
そうすると、苦しみを抱えた当事者は、動画を見ないで、反論に同調してしまう。
そして、本来伝えたかった動画の意図が伝わらず、誤解が増幅されやすい。

この三つが重なることで、
今回のようなすれ違いが生まれます。

誰も悪者ではない。構造が誤解を生む

今回の炎上は、
当事者が悪いわけでも、精神科医が悪いわけでもありません。

ただ、
当事者の「苦しみの語り」と、専門家の「希望の語り」が、
SNSという場では噛み合いにくい構造になっている。

それだけのことだと思います。

歩み寄りのために必要なのは「互いの語りの背景を理解すること」

当事者の語りには、
これまでの苦しみを守るための必死の防衛があります。

専門家の語りには、
未来を閉ざさないための希望があります。

どちらも大切で、どちらも正しい。

だからこそ、
互いの語りの背景を理解することが、歩み寄りの第一歩になる
と私は思います。

最後に

発達障害をめぐる議論は、
どうしても感情が揺れやすいテーマです。

しかし、
当事者の苦しみも、専門家の希望も、
どちらも「より良く生きたい」という願いから生まれています。

すれ違いを少しでもなくし、互いの語りが届きやすくなることを願っています。