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こころ日誌#47

あなたたちと、生きたい

◆あなたたちと、生きたい

しばしの間をおいたが、私の促しに応えて、とも子がゆっくりとした口調で話し出した。
「母のことで思い出すのは・・・、前にもここで話した『あんたにできるわけがない』って言葉。昼も夜も仕事ばかりしていて、家に帰ってきたかと思えば飲みに出かけて。私が何か話しかけても否定的な言葉ばっかり返ってきた。『今忙しいの』『あっち行ってて』『あんたは黙ってなさい』」

一時の落ち着きを取り戻していたとも子の声が、再び震えを帯びる。

「実は、私も中学のとき、カオリと同じように学校に行くのが辛かった。学校に行ったら、机に悪口書かれて、ノート破かれてて、上靴隠されて。そんな私を見て、周りの子たちはニヤニヤ笑ってる。最初は、先生に言った。何とかしてくれると思ったから。でも、何もしてもらえなかった。それどころか、『いじめられる自分の問題も考えろ』って言われた。でもどんなに考えても分からなかった。学校が嫌で、何度も休みたいって言った。でも、休ませてもらえなかった。どんなに辛くても、吐きそうなくらい気持ち悪くても、無理やり学校に行かされた。最初は泣き叫んで抵抗した。そうしたら、母が学校の先生を家に呼んで・・・、無理やり部屋から引きづり出されて、連れて行かれたこともある。どんなに抵抗しても無駄だった」

今から20数年前。
私がスクールカウンセラーとして駆け出しだったころを思い出す。
当時の学校では不登校の子を教師が自宅に上がり込んで無理やり引きずり出すという対応が珍しくなかった。
あの時の学校の対応が当時の不登校生徒たちにどれだけ深い傷を残したのかと考えると胸の奥が締め付けられる。

「だから・・・母に言ったの。『死にたい』って。『もう無理』って。そしたら・・・」
とも子は声の震えを大きくして続けた。
「母は台所から包丁を持ってきて・・・。そして、私の首のところに当てて、『じゃ、私が殺してあげようか。その後に私も死ぬから』って・・・」

「!」
私の中で以前カオリからも隆志からも聞いた場面が呼び起される。
あれは、とも子自身が負ったトラウマの世代をまたいだ再演だったのだ。

「私は怖くて何も言えなかった。すごい・・・震えてたと思う。そしたら、それを見た母は『死ぬ気もないくせに』って言って、包丁をテーブルの上に投げるように置いた」

――キィン。
机の上に投げられた包丁の無機質な音が聞こえてくるようだ。

「私は・・・弱音を吐くことも許されないんだって思った。それで・・・私は自分は石ころだって言い聞かせることにしたの。石ころだったら、どんなに暴力を受けても、痛くない。暴言を吐かれても何も感じない。そう・・・、私は何も感じないことで、生き残った。生き残ったけど・・・、生きているのか死んでるのか分からなくなった。だから、自分の体を傷つけることで、生きていることを確認してた。リストカットして、血が流れるのを見てると、『あ、私、まだ生きてるんだ』って思えた。本当は、私もカオリみたいに、学校に行かないでもいいよって言ってもらいたかった。『辛いの?』って、ただ聞いてほしかった。でも、私の気持ちなんて、誰も聞いてくれなかった」

とも子の顔面が蒼白状態になっている。呼吸もかなり乱れている様子だ。

「とも子さん、今とも子さんの右手にはカオリちゃん、左手には隆志さんが手を握ってくれています。二人の手の温かさを感じましょう」
私はできるだけ落ち着いた声でゆっくりとそう伝えた。

隆志もカオリも真剣な表情でとも子の話を聞き、その手を握りしめている。

「カオリちゃん、隆志さん。2人を苦しめてきた場面、『カオリと一緒に死ぬ!』と言われたあの場面の元凶が今明らかになりました」

カオリと隆志があの場面について、それぞれに打ち明けたことをとも子は知らない。だが、分かるはずだ。

「お二人にしてもらいたいのは、そんなとも子さんを恐れたり、責めたりすることじゃありません。癒すことです。今、とも子さんに全身全霊を込めて癒しのエネルギーを送りましょう。今のお二人ならできるはずです」
私は言葉に力を込めた。
「隆志さんとカオリちゃんが、とも子さんを助けるんです」

次にとも子に向けて言う。
「イメージしてください。カオリちゃんと隆志さんから送られてくる愛情のエネルギー。とっても優しい気持ち。それがとも子さんの中に流れ込んできて、石ころになったとも子さんの心を照らしていきます。温かい光で包み込みます」

私の言葉が途切れるタイミングを待っていたかは分からない。
カオリが自然と言った。
「お母さん、大好き」

とも子の目から一筋の涙がこぼれて頬をつたう。
「本当にそう思ってくれるの?私、カオリを殺したいって言っちゃったよ」

カオリも目を潤ませて、もう一度繰り返した。

「お母さん、大好き」

それに呼応するように隆志も口を開く。
「僕が言わせたんだ・・・。とも子、僕はこれまで君のことをどんなに傷つけてきたか・・・やっと分かった。君が死にたいって言ったとき、僕はとても酷いことを言ってしまった。君がこんなに傷ついて生きてきたのに、僕は自分のことしか考えていなかった。僕が自分のわがままで、君に僕の母親の代わりを押し付けてたんだ。なんでも優しく僕のわがままを受け入れてくれるなんて僕の幻想だった。本当の君を見ていなかった。どうか許してほしい。今、この家族には・・・僕の母じゃない、君が必要なんだ。僕の妻も、カオリの母親も、君じゃないとダメなんだ」

涙で顔を濡らしたまま、とも子は隆志の方を見た。
「初めて・・・私を見てくれたね。あの時、私はカオリと一緒に死にたいって思った。本当にごめんなさい。こんなに大事な家族なのに。今は・・・あなたたちと、生きたい」

乱れた呼吸の合間にこぼれた言葉が、部屋全体を静かに包んでいった。

それを見て私から、カオリに話しかける。
「カオリちゃん、大好きなお父さんとお母さんにこの前カオリちゃんが描いた絵を見せてあげてもいい?」
私の方を向いたカオリが頷くのを確認し、私は、資料の棚から、その絵を取り出した。
赤いドレスを着て手を広げた女性と、それをタキシードを身にまとってエスコートする男性。
「これ・・・確かに僕らの結婚式の時の写真の絵だ」
隆志は鼻をすすりながら、そして、とも子は頬を濡らしながら微笑んだ。

――パキ、パキッ。
薪ストーブの中で、木が静かに弾ける音がした。

やがて面談が終わり、三人を玄関まで見送る。
外は、滝のような大雨になっていた。
外への扉を開けた瞬間、耳に飛び込んできた大粒の雨音と共に、冬の到来を感じさせる冷気が玄関の中になだれ込んできて、私たちを急に現実に引き戻す。

玄関から車まではものの数秒の距離ということもあり、入ってくるときには傘を持ってこなかったらしい。
「すごい土砂降りになっちゃいましたね」
私が言うと、
「車までダッシュだ!」
隆志が掛け声と共に走り出す。
それに続いて、とも子もカオリも大急ぎで車に乗り込んでいった。

「絶対濡れたよな」

颯爽と駐車場を出て行く黒いワンボックスを見届けた後、私は静かに玄関の扉を閉めた。その瞬間、雨音がふっと遠のく。
まるで外界との境界を確かめるように、相談室の中は、再び静かな非日常の静寂を取り戻した。

つい今しがたまで、3人が三角形になって座っていた椅子を元の位置に戻しながら、私は感慨深く思い出していた。
初めてとも子に連れられて、カオリが私のもとを訪れたのが昨年の11月4日。1年の関りを経て、家族が大きく動き出した。これからもカオリは辛い経験をするだろう。でも、内在化された両親がしっかり土台になって支えてくれる。もう大丈夫だろう。

私は終わったばかりのケース記録を書くために、パソコンの起動ボタンを押した。

鋳物で作られた薪ストーブはもうほとんど火が落ちてしまっていたが、それでも尚、ほんのりとした暖かさを相談室に伝えていた。


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