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こころ日誌#25

母親の告白

「この子の前でこんなこと言うのもなんですが、私若いころずっと死にたいって思ってたんです。それで、カオリが生まれるくらいまで主人に隠れて切っていました。でも、カオリが生まれて、産後うつになって、一時期、本当に死ぬことばかり考えてたんです。そうなると切る気も起きなくなったと言うか。気づいたらしなくなっていました。本当にリスカしてたこと、ほとんど忘れていたというか、考えることなかったんです」
今、母親の心の防衛が外れ、内側に溜めていた苦しみが語られている。この苦しみは母親の意識から切り離されて、心の中に蓋をしてしまい込まれていた感情だ。しかしそれはカオリに聞かせるにはとても重い話だ。このまま続けさせていいものか迷いがないわけではない。しかし、もしここで止めたとして、帰宅後にカオリと母親の二人の時にその続きをしないとも限らない。それよりは私がいて一緒に聞いた方が良いだろうと判断し、私は何も言わず傾聴を続けた。
「前回、ここで消毒してくださったって聞きました。この子嬉しかったみたいです」
私はカオリの方に視線を向ける。母親のリスカの告白をどう消化していいのか分からない様子で目を泳がせていたが、急に自分の話を振られて照れたのか、はたまた母親の告白を聞いて不安になったのか分からない。母親の方に頭をもたれさせて甘える仕草を見せた。
しかしそれに対する母親の様子は少し今までと違った。カオリの甘えに応えるようではなく、斜め上の空間を眺めながらつぶやくように言う。
「私にはそういう風に手当てしてくれる人、いなかったなぁ」
ついさっきまではカオリの甘えを受け入れており、微笑ましい感じだったが、少し雰囲気が違う。これは・・・。私は即座に言った。
「カオリちゃん、今、お母さんの肩から頭離さないで」
カオリも母親も私がこれまでの柔和な感じから、急に声に緊張の色合いを含ませたことに驚いている様子だ。
私は続ける。
「お母さん、今お母さんの肩にカオリちゃんの頭が乗っています。背中にはカオリちゃんの体が当たってるの、分かりますか?」
「はい」
母親は戸惑いを見せながら答える。
「その感じ、よぉく感じてください。肩に乗っているカオリちゃんの頭、背中に当たっている体からカオリちゃんの体温を感じましょう」
エアコンが効いた部屋では、ブラウスを通してカオリの体温は伝わりやすいはずだ。私は更に続けた。
「カオリちゃんもお母さんの体温を感じていきましょう。そしてお互いに呼吸を感じていきましょう。ゆったりと深呼吸して。今二人が触れ合っている部分から、感じられるお互いの発しているメッセージ、なんでも受け取っていきましょう」
このようにお互いの接触を十分に感じる時間を取ってから、更に私は続けた。
「カオリちゃん、いつもお母さんからもらっている安心する気持ち、今はカオリちゃんからお母さんに送ってあげて」
次に母親に向けて言う。
「お母さん、今、カオリちゃんがお母さんに今までお母さんがカオリちゃんに与えてくれたたくさんの安心、精一杯返してくれています。カオリちゃんがお母さんにピタッとくっついてくれる安心感、お母さんの体でしっかりと感じていきましょう。ゆったりと深呼吸しながら、カオリちゃんに安心をもらって気持ちをリラックスさせていきましょう」
「ご自身の傷を消毒してくれる人がいなかった。。。そのことを思い出すと今どんな気持ちですか?」
「えぇ・・・なんでしょう。やっぱり寂しかったですね」
「その気持ち・・・ちょっと味わってみましょう。でも、今はカオリちゃんがお母さんに安心を送ってくれています」
「あ・・・はい」
私の教示を受け入れたような返事をするが、その表情は眉と目じりに力が入り苦痛に耐えているように見える。
「その寂しい気持ち・・・味わっていると、体はどんな感じがしますか?胸が苦しいとか、お腹が痛いとか」
「胸から、お腹にかけてですか。キューっと絞られる感じと言うか」
以前もそうだったが、母親は体の感覚を言語化することに関して上手に伝えてくれる。
「その感じ、MAXで辛くて耐えられない状態が10、全然平気な状態が0だとしたら、今いくつくらいですか?」
「8くらいです」
「教えてくれてありがとうございます。よく味わっていきましょう」
しばらく感情を味わうための間を取る。
「イメージしてみてください。お母さんの胸からお腹にかけて・・・寂しいっていう気持ちが締め付けています。とっても寂しい。でも今、お母さんのそばにカオリちゃんがいてくれて、お母さんに精一杯優しい気持ちを送ってくれています。お母さんの肩や背中の感覚を通してカオリちゃんの優しい気持ちがお母さんの中に入ってくる。どんどん流れ込んでくる。カオリちゃんの優しい気持ちが流れ込んできて、お母さんの胸からお腹にかけて締め付けている寂しい気持ち、孤独な気持ちをどんどん中和していきます。どんどん中和していきます。今お母さんはカオリちゃんの愛情をいっぱい受けて、寂しい気持ちがどんどん中和されています。体の感覚をよく感じてください。ゆっくりでいいですよ。寂しい気持ちが中和されていくのを感じてください」
次に私はカオリにも話を振る。
「カオリちゃんも、お母さんにいっぱい愛情の気持ち、安心する気持ちを送ってあげてね。その気持ちがお母さんの寂しさを癒していくのを一緒にイメージしていきましょう。そして、お母さんとカオリちゃんのイメージが重なっていると強く信じてください。そう、お母さんの寂しい気持ちがどんどんカオリちゃんからの愛情で癒されていく」
更に間を取る。
しばらく私は黙って二人の様子を見つめていた。母親は目を閉じており、自身の気持ちと戦っている。その横でカオリは目を開いてじっと母親に密着している。
「今、胸からお腹にかけて、締め付けられる感じ、数字で言うといくつくらいですか?」
「3か4くらいです」
「とてもいいですね。最初に比べて楽になってきました。カオリちゃん、カオリちゃんのおかげで、お母さん、寂しさが和らいできたって。もっと愛情と優しさを送ってあげてね」
「ハイ」
私はHRV呼吸を意識しながら母親の表情や、呼吸に連動する胸の上下動をつぶさに観察する。
「お母さんの呼吸が少しずつ落ち着いてきました。カオリちゃんが安心感をいっぱい送ってくれるおかげで、深い呼吸が楽にできるようになってきます」
こうガイダンスしながら、更に様子を観察し、ときおり「いいですね、いいですね」と勇気づけながら見守る。
母親の表情や呼吸が大分落ち着いてきたのが見て取れたので質問する。
「いかがですか?」
「大分楽になりました」
「数字で言うと?」
「1か2くらいです」
「いいですね。では、お母さん、目を閉じたまま、今の体験をもう一度振り返っていきましょう。自分がリストカットしてしまっていた時、誰も助けてくれなかった。そのことを考えると、とても寂しい気持ちがした。でも、カオリちゃんからしっかりと愛情をもらって、大分楽になれた。この感覚、今一度よく味わって。お母さんの中にしっかりと落とし込んでいきましょう。しっかりと落とし込んで」
しばらく間を取る。
「しっかりと癒される感覚がお母さんの中に落とし込まれるのを感じたら、お母さんのタイミングで目を開けて、今ここに戻ってきてください」
この『今ここ』というのはカウンセリングではよく使われる用語である。『今ここ』で感じている気持ちが大事と言う意味だが、ことトラウマケアに関しては過去のことを扱わなくてはならない。過去の気持ちをしっかり癒すために、気持ちをトリップさせる。さながら心という異世界にトリップするような感覚だ。催眠用語ではトランス状態とも言う。私は今、トランス状態、つまり異世界へのトリップから、『今ここ』に戻ってきてくださいと伝えたのだ。
ほどなくして、母親は目を開ける。
「では、しっかりと伸びをしていきましょう。体を伸ばして」
私も自分で言いながらストレッチするように両手を上げて、体を伸ばす。それを見て母親もそれに従った。
「カオリちゃんもしっかり体を伸ばして」と私が言うと、カオリもそれに従う。
私はつづけて母親に聞いた。
「今ご気分はいかがですか?」
「なにか、温かくなりました」
「カオリちゃん、お母さん、あったかい気持ちになれたって。カオリちゃんのおかげです。ありがとうね」
カオリが照れるように笑うと、母親もカオリの方を見て「ありがとうね」と優しく言った。
時間が終了に近づいていた。

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