こころ日誌#26
ついにきた!
「今日はとっても重い気持ちをお話いただきました。私は今日ここでお話いただけたこと、とても良かったと思っています。でも、この話は今日この部屋を出るときに一旦、お母さんの胸にしまって鍵をかけましょう。今日大分楽になれたようなので、このまま霧散してくれるといいと思いますが、気持ちってそんな簡単なものではないかもしれません。もしまた扱う必要が出てきた時は、ここに持ってきていただいて、ここでしっかりと扱えるといいと思います」
私がこう伝えるのは、家でむやみにトラウマにまつわるネガティブな気持ちが開くと、母親にとって良くないからだ。もちろんそれはカオリの心にも悪影響を及ぼす。
「分かりました」
母親もそう返事をした。
二人を見送ると、ピノが入っていた袋と乗っていた皿、ウーロン茶が入っていたグラスを片付ける。なかなかに濃いセッションだった。私も糖分を補給しようと、冷蔵庫を開け、余っている残り一個のピノの袋を割く。そして中身を口に放り込でんから、パソコンを起動し、記録に取り掛かる。
カオリが初めて顔を見せてくれたこと、母親にリスカのことを自分から伝えたこと。そして母親自身の希死念慮の告白からのリゾネイティング。記録を書きながらこの面接はカオリの不登校が出発点であったが、それはあくまでも入り口であり、主題が母親のトラウマケアに移ってきていることを実感する。
カオリにとって大好きな母親の傷を癒したい気持ちが不登校というSOSとして顕在化したというのが私のケース理解だ。
だが、母親の今回の訴えを聞くに、父親との関係以前から母親には希死念慮があった。「お前にできるはずがない」半年以上前に薪ストーブで燃やした言葉が再び私の頭に呼び起された。
まだ、問題は根深そうだ。
アセスメント
・母親の潜在的なトラウマは想像以上に重く、背景にはやはり母親自身の生育歴がありそう。
・カオリは母親を癒すという役割を得たことで自己価値を感じられている。しかし役割が過剰になりすぎないように注意が必要。
方針
・継続して母親をエンパワーしていく。
・カオリへの負担が重くなり過ぎないように注視する。
―――――――――――――――――――――――
山野母子の面接から二日後のこと、その日入っていた面接がすべて終了し、私はケースの記録をまとめるためにパソコンに向かっていた。
「ピロ~ン」
電子音とともにメーラーのアイコンに新着メールが入ったことを知らせる「1」という数字が付せられる。私はその知らせが迷惑メールでないことを願い、そしてあわよくば新規の申し込みであることを期待してアイコンをクリックした。
subject「ご相談」 from: Tomoko Yamano 受信日時:20〷+1年9月14日19:15
そのどちらでもない。「山野さんからだ」と思い私はメールを開ける。
「いつもお世話になっております。
次回のカウンセリングですが、主人も来てくれることを了解してくれました。一緒に伺ってもよろしいでしょうか。
お返事お待ちしております。
山野とも子」
ついにきた!
短いメールを読み終えた私の率直な感想だ。
父親の来談は私から呼びかけるのではなく、母親もしくはカオリから必要に駆られて申し出てもらうことに意味がある。そうしないと、どうしても母子と結託して父親を責め立てるカウンセラーという構図が出来上がってしまうからだ。それでは、私のことを敵と見なし、防衛的な態度を父親に引き起こすことになるだろう。だからこそ、私は必要と思いながらも待ちの姿勢を貫いてきた。
そして、そんな考察をしている間に、普段よりも心臓の鼓動が大きくなっている自分に一瞬遅れて気づいた。これは、その思いがようやく叶ったことによる興奮だろうか。いや、違う。それよりも、母子を常に緊張状態にさせる父親に対する威圧的なイメージが頭に浮かぶ。それによる緊張感が私の拍動を大きくしていることを誤魔化してはいけない。
そして、父親が一緒に来談した時に起こるであろうことを色々想像する。やはり、母親もカオリも私に父親を責め立てる役割を期待するのだろうか。
そんなことを考えてふと我に返ると、目の前にはまだ書きかけの他のケース記録が,
私が再び作業に取り掛かるのを待っている。
「おっと、いけない」
私は氷が溶けてぬるくなったアイスコーヒーのグラスを口に運ぶと、先にそちらの方を片付け、それから先ほど来たメールに対する返信の文面を考える。
Subject「Re: ご相談」 from: 山の香りカウンセリングサービス 送信日時20〷+1年9月14日 19:55
「山野様
お世話になっております。
次回の旦那さんの来談について、お母さんとカオリちゃんが勇気を出して働きかけてくれたであろうことにとても敬服いたします。
ただ、3人で一緒に来談いただくとなると、60分という時間の組み立てがかなり複雑になり、話の焦点がぼやけてしまうことが懸念されます。そこで、もしよければ、まずはいつものお二人とは別に、旦那さんお一人で来談いただくというのはいかがでしょうか。
お返事いただくようよろしくお願いします。
山の香りカウンセリングサービス代表
鈴木」
すると、すぐに母親からの返信があった。父親単独での来談となると、また父親と話す必要があるとのことだ。それはそうだろう。その旨を了承し、その後何回かのメールのやり取りをした。その結果、父親との面談は一週間後、次の土曜日である、9月21日となった。父親は仕事が土日休みなのである。9月26日に次回のカオリの予約が入っているのだが、そこもキャンセルはせず、いつもより父親の分料金がかかることも承知してくれた。母親のカウンセリングに対する期待をひしひしと感じる。
ただ、私の相談室では土曜日のカウンセリングは対面では受けておらず、オンラインのみとなっている。つまり父親とはZoomを使ってカウンセリングすることに決まった。
オンライン面談は料金の当日払いができないため、事前に振り込みをお願いしている。果たして、私の口座に料金の振り込みが確認されたので、私はZoomのURLをメールで送った。
―――――――――――――――――――――――――――――――
その日、私は今までのケース記録を読み返しつつ、頭の中で母親とカオリから聞いていた父親像を整理していた。
家の中で緊張を作り出している。カオリには優しいが母親に対して攻撃的。しかし暴力があるわけではない。あるとしたら心理的な、いわゆるモラハラの範疇に入るような接し方か。ケンカになると母親は黙り、父親は酒に逃げるという話も聞いていた。様々な情報を整理しつつ、やはり会ってみないと分からない。約束の時間は11時からだ。
今は10時55分。
「そろそろいいか」
私はZoomのスケジューラ―を開き、「予定されているミーティング」から、「山野様」というカードをクリックする。すると画面にミーティングの詳細が現れ、その下に「開始する」という青いボタンを確認した。
「ドクン」
やはり緊張している自分を実感しつつ、そのボタンを押す。
かと言ってすぐに入室があるわけではない。
少し待ってからパソコンの右下に表示された時計を見るとまだ10時57分だ。まだ3分ある。オンライン面談の部屋を立ち上げてからクライアントが入室までの時間はいつも手持ち無沙汰で長く感じる。
今回のように緊張を伴う面談は尚更だ。
10時59分を数秒過ぎたとき「『yamano takashi』の入室がありました。許可しますか?」というポップアップが現れた。
私は意識的に深呼吸をしながら、「許可する」というボタンを押した。
私がこう伝えるのは、家でむやみにトラウマにまつわるネガティブな気持ちが開くと、母親にとって良くないからだ。もちろんそれはカオリの心にも悪影響を及ぼす。
「分かりました」
母親もそう返事をした。
二人を見送ると、ピノが入っていた袋と乗っていた皿、ウーロン茶が入っていたグラスを片付ける。なかなかに濃いセッションだった。私も糖分を補給しようと、冷蔵庫を開け、余っている残り一個のピノの袋を割く。そして中身を口に放り込でんから、パソコンを起動し、記録に取り掛かる。
カオリが初めて顔を見せてくれたこと、母親にリスカのことを自分から伝えたこと。そして母親自身の希死念慮の告白からのリゾネイティング。記録を書きながらこの面接はカオリの不登校が出発点であったが、それはあくまでも入り口であり、主題が母親のトラウマケアに移ってきていることを実感する。
カオリにとって大好きな母親の傷を癒したい気持ちが不登校というSOSとして顕在化したというのが私のケース理解だ。
だが、母親の今回の訴えを聞くに、父親との関係以前から母親には希死念慮があった。「お前にできるはずがない」半年以上前に薪ストーブで燃やした言葉が再び私の頭に呼び起された。
まだ、問題は根深そうだ。
アセスメント
・母親の潜在的なトラウマは想像以上に重く、背景にはやはり母親自身の生育歴がありそう。
・カオリは母親を癒すという役割を得たことで自己価値を感じられている。しかし役割が過剰になりすぎないように注意が必要。
方針
・継続して母親をエンパワーしていく。
・カオリへの負担が重くなり過ぎないように注視する。
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山野母子の面接から二日後のこと、その日入っていた面接がすべて終了し、私はケースの記録をまとめるためにパソコンに向かっていた。
「ピロ~ン」
電子音とともにメーラーのアイコンに新着メールが入ったことを知らせる「1」という数字が付せられる。私はその知らせが迷惑メールでないことを願い、そしてあわよくば新規の申し込みであることを期待してアイコンをクリックした。
subject「ご相談」 from: Tomoko Yamano 受信日時:20〷+1年9月14日19:15
そのどちらでもない。「山野さんからだ」と思い私はメールを開ける。
「いつもお世話になっております。
次回のカウンセリングですが、主人も来てくれることを了解してくれました。一緒に伺ってもよろしいでしょうか。
お返事お待ちしております。
山野とも子」
ついにきた!
短いメールを読み終えた私の率直な感想だ。
父親の来談は私から呼びかけるのではなく、母親もしくはカオリから必要に駆られて申し出てもらうことに意味がある。そうしないと、どうしても母子と結託して父親を責め立てるカウンセラーという構図が出来上がってしまうからだ。それでは、私のことを敵と見なし、防衛的な態度を父親に引き起こすことになるだろう。だからこそ、私は必要と思いながらも待ちの姿勢を貫いてきた。
そして、そんな考察をしている間に、普段よりも心臓の鼓動が大きくなっている自分に一瞬遅れて気づいた。これは、その思いがようやく叶ったことによる興奮だろうか。いや、違う。それよりも、母子を常に緊張状態にさせる父親に対する威圧的なイメージが頭に浮かぶ。それによる緊張感が私の拍動を大きくしていることを誤魔化してはいけない。
そして、父親が一緒に来談した時に起こるであろうことを色々想像する。やはり、母親もカオリも私に父親を責め立てる役割を期待するのだろうか。
そんなことを考えてふと我に返ると、目の前にはまだ書きかけの他のケース記録が,
私が再び作業に取り掛かるのを待っている。
「おっと、いけない」
私は氷が溶けてぬるくなったアイスコーヒーのグラスを口に運ぶと、先にそちらの方を片付け、それから先ほど来たメールに対する返信の文面を考える。
Subject「Re: ご相談」 from: 山の香りカウンセリングサービス 送信日時20〷+1年9月14日 19:55
「山野様
お世話になっております。
次回の旦那さんの来談について、お母さんとカオリちゃんが勇気を出して働きかけてくれたであろうことにとても敬服いたします。
ただ、3人で一緒に来談いただくとなると、60分という時間の組み立てがかなり複雑になり、話の焦点がぼやけてしまうことが懸念されます。そこで、もしよければ、まずはいつものお二人とは別に、旦那さんお一人で来談いただくというのはいかがでしょうか。
お返事いただくようよろしくお願いします。
山の香りカウンセリングサービス代表
鈴木」
すると、すぐに母親からの返信があった。父親単独での来談となると、また父親と話す必要があるとのことだ。それはそうだろう。その旨を了承し、その後何回かのメールのやり取りをした。その結果、父親との面談は一週間後、次の土曜日である、9月21日となった。父親は仕事が土日休みなのである。9月26日に次回のカオリの予約が入っているのだが、そこもキャンセルはせず、いつもより父親の分料金がかかることも承知してくれた。母親のカウンセリングに対する期待をひしひしと感じる。
ただ、私の相談室では土曜日のカウンセリングは対面では受けておらず、オンラインのみとなっている。つまり父親とはZoomを使ってカウンセリングすることに決まった。
オンライン面談は料金の当日払いができないため、事前に振り込みをお願いしている。果たして、私の口座に料金の振り込みが確認されたので、私はZoomのURLをメールで送った。
―――――――――――――――――――――――――――――――
その日、私は今までのケース記録を読み返しつつ、頭の中で母親とカオリから聞いていた父親像を整理していた。
家の中で緊張を作り出している。カオリには優しいが母親に対して攻撃的。しかし暴力があるわけではない。あるとしたら心理的な、いわゆるモラハラの範疇に入るような接し方か。ケンカになると母親は黙り、父親は酒に逃げるという話も聞いていた。様々な情報を整理しつつ、やはり会ってみないと分からない。約束の時間は11時からだ。
今は10時55分。
「そろそろいいか」
私はZoomのスケジューラ―を開き、「予定されているミーティング」から、「山野様」というカードをクリックする。すると画面にミーティングの詳細が現れ、その下に「開始する」という青いボタンを確認した。
「ドクン」
やはり緊張している自分を実感しつつ、そのボタンを押す。
かと言ってすぐに入室があるわけではない。
少し待ってからパソコンの右下に表示された時計を見るとまだ10時57分だ。まだ3分ある。オンライン面談の部屋を立ち上げてからクライアントが入室までの時間はいつも手持ち無沙汰で長く感じる。
今回のように緊張を伴う面談は尚更だ。
10時59分を数秒過ぎたとき「『yamano takashi』の入室がありました。許可しますか?」というポップアップが現れた。
私は意識的に深呼吸をしながら、「許可する」というボタンを押した。