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こころ日誌#17

膠着

4月から再登校を始め、順調に見えていた不登校経験者がつまずきやすいタイミングのひとつにゴールデンウイーク明けがある。親子ともにようやくあの苦しみが終わったのかなと思っていた矢先に、急に希望を挫かれたというケースをたくさん見てきた。
私としてはカオリと母親にカウンセリングの効果を実感してほしいし、不登校からの再登校という分かりやすい形で結果を求めたくなる気持ちもあるにはある。学校に行ってほしい気持ちと、無理はさせたくない気持ちの葛藤を覚えつつ、次のカオリの来談を待った。

20〷+1年5月8日 カオリ#10  母親#6 母子合同面接
前回の来談から2週間経ったが、間にゴールデンウイークを挟んでいたため学校について話すことはそう多くないだろう。もしカオリから積極的に話題が出てこないようならリゾネイティングに十分に時間を使おう。そう考えつつ二人を迎え入れた。
「こんにちは」
私はいつものように務めて穏やかな口調で挨拶をする。
しかし、二人の間には明らかに緊張した空気を感じる。
カオリが先に口を開いた。
「トイレ行っていいですか?」
私は拍子抜けした。この緊張感はトイレに行きたかったから?そういえば前回も途中でトイレに中座したことが思い出される。
「あ、どうぞどうぞ」
私はトイレの入り口を手で指し示してカオリを誘導した。それに従い、カオリは相談室から扉の向こうへ消えていった。
「あ、お母さん、どうぞ」
と言って椅子に座るように促し、準備してあった茶菓子を二人分いつものように相談机に並べる。
私も相対した椅子に腰を下ろし「一気に暑くなりましたね」と雑談から入った。
ところが母親は少し苛立ったような表情にも見える。
「実は、カオリ、今日学校を早退してきたんです。一番最初のときと同じです。体育の授業中にうずくまっちゃって。今日はここに来る日だったので、私も元々仕事は休みにしてましたから学校から電話がかかってきてすぐに迎えに行けたんですが。急に暑くなったから体がついていかないのかもしれないですが、どうしてもまた行けなくなるんじゃないかって心配で」

やっぱりか。
私も、内心、少なからずがっかりした気持ちを感じてしまう。分かっていた。何度もそういうケースを見てきた。しかしやはり、回復に向かっていた子がまた行けなくなる場面に直面すると、やはりまだ厳しいか、と残念に思う。

しかし私は「あら、そうだったんですね」と務めて冷静に反応を返した。「4月に入って急激に頑張ってきましたからね。疲れが出ちゃったかもしれないですね」

「それで、帰ってきてからもお腹壊したのか、ずっとトイレに籠ってるんです。ずっとですよ。お腹痛いって言って。今日はここに来れないかと思いました。でも、出る時間ギリギリになって本人『行く』って。で、ようやくここにたどり着いたんですけど、またトイレ行っちゃいましたね」
やはり母親の口調からはいい加減にしてほしいという気持ちが滲み出ている。
「お腹ってストレス一番出やすいですからね」
私の返答も何か言い訳めいた感じになるが、それが母親の怒りの種火に風を送ってしまった。
「去年からここに通って、私も頑張ってきて、もう大丈夫かと思っていた矢先にこんなことになると、今までやってきたことが間違ってたんじゃないかと心配になります」
母親は問いかけるような目で私を見つめる。
私はとっさに目を手元の記録用紙に落としてしまう。
母親の今の様子について、カオリが早退してきたという事実に、不登校当初のころの気持ちがフラッシュバックし、不安が喚起されているなどと体のいい解釈が頭に浮かぶ。本来受け止めなくてはいけない母親の攻撃が自分に向けられつつあるということから必死に目をそらそうとする自分を感じる。
「心配ですね。トイレから出てこれるかな」
と言って、私はカオリが消えていったトイレの扉に目をやった。

しばしの沈黙が流れる。
カウンセリングの中で起こる沈黙にはいろいろなタイプのものがあるが、このときは明らかに膠着してしまっていた。私はカオリが扉から出てきてこの沈黙を破ってくれることを期待していた。
「ジャーッ、ゴボゴボ」
扉の向こうで水洗便器の流れる音が聞こえた。

果たして扉が開く。
入ってきたカオリは顔が青白く、ふらついているようにも見える。
「大丈夫?調子悪そうだよ」
と声かけると、
「お腹痛くて」
と細い返事が返ってくきた。
「そうだったんだね。しんどい中来てくれたんだね。でも無理しないでね」とカオリを労った。
カオリはそれには返事をせず椅子に座った。
「学校早退しちゃったんだって?」と問いかけると
「今日朝からお腹痛かったんですけど、4時間目の途中で無理ってなって」と説明してくれる。
「そうだったんだね。4月から頑張ってきたもんね。ちょっと疲れが出ちゃったかな」と先ほど母親にかけたのと同じフレーズを伝える。
「いえ、疲れてるわけじゃなくてお腹痛いだけです」とカオリ。
私はカオリと母親の両方を見て、
「そっかぁ。ちょっとあんまり痛いようですので病院行ってみるのもありかもしれないですよ」と伝えた。
母親はやや不意を突かれたような表情をする。
本来、どこか体が不調な時とき、病院という選択肢がカウンセリングよりも先に来るのが当たり前なのだろうが、このとき母親は心の不調によるものという先入観からかそれは頭から抜けていたのかもしれない。
言われてなるほどと思ったのか「そうですね。連れて行ってみます」とすんなり私の提案を受け入れた。

「後、もし今日みたいなことが続くようならですが、ちょっと学校全部参加するっていうのを抑えた方がいいのかもしれません」
私の言葉に二人は身構える。やっと行けるようになった学校生活を簡単に諦めるつもりはないということだろう。
私もそれは察知した上で、カオリの方を向いて伝える。
「学校生活ってダイビングみたいなもんだと思うの。カオリちゃん、スキューバダイビングって知ってるかな。酸素ボンベ背負って海に潜る奴ね。ボンベに酸素が十分にあれば海の底を楽しめるけど、酸素が少ないとすぐに苦しくなっちゃって楽しむどころじゃなくなっちゃうよね。学校生活も同じ。カオリちゃん、やっぱりボンベの残量がまだ少ないんじゃないかと思うんだよね」
私は不登校に悩む親子によくこの比喩を使う。しかし、問題のメカニズムをクライアントに伝えるとき、細心の注意を払わないと伝わり方が間違って、あなたには欠陥があると受け取られる危険もある。
カオリも母親も表面上無反応に聞いている。
「でも、大丈夫。今までここでしてきたグラウンディングやリゾネイティングのワーク覚えてるでしょ?あれ、実はトータルの目的はボンベの残量を回復して更には容量を増やすためのワークなの。さっき、まだ少ないって言ったけど、ちゃんと増やしていくことができるからね」
そう伝えた後、私は母親も交えて三人で呼吸を合わせるワークから入ることを提案した。ここまでのやり取りで私と母親とカオリの自律神経の状態がかなりズレていることを自覚していたからだ。自律神経の波長が合わないカウンセリングはまず間違いなく上手くいかないことを私は知っている。
3人で椅子を三角形に配置し、最初に私が呼吸に合わせて手を上下し、残りの二人はそれに合わせる。次にカオリが主導、その次に母親という形で1分間隔交替し、3ローテーションする。
終わるころには大分空気が落ち着いてくるのを実感できる。
こうしてその後のグラウンディングとリゾネイティングにつなげてこの回は終了の時間を迎えた。
終わり際に「お腹どう?」と聞くと、「大分マシになりました」と答えたカオリであったが、やはりその声からは硬さを感じた。

二人を送り出した後、手を付けられなかった茶菓子を片付けた後、記録のためにパソコンに向かう私の気持ちは重かった。
「今日はダメダメだった」というのが正直な感想だ。カオリが学校に行けなくなることもある程度想定していた。しかしそれでも期待していた自分は目先の行動に視界を奪われていたのだ。残念と思ってしまったからこそ、母親と一緒に揺れてしまった。
「母親と一緒に揺れて何が悪い。カウンセラーがクライアントに共感するのは当たり前だ」そう言う同業者の人もいるだろう。しかし私が完全に中立の視点をもって母親の話を聴いてそこに共感するのと、母親に同一化してしまうことには大きな違いがある。私が母親の気持ちを理解して共感したのではなく、私の気持ちが母親の気持ちになってしまっていたのだ。そうなると私の視点も母親の視点になってしまう。思えば、このセッションが始まる前、学校復帰という結果を自分は無意識に求めてしまっていた。カウンセラーの仕事はクライアントの心を回復させることで、結果はクライアント次第であることを解っていたはずなのに。
アセスメント
・カオリにIBS(過敏性腸症候群)の気あり
・母親はショックを受けており、カウンセリングに対しても若干不信感をもったかもしれない。
・ただ、その後のワークにより互いの共鳴を促せたのは良かった。
方針
・今後のカオリの登校状況次第では部分登校を促していく。

過敏性腸症候群とは起立性調節障害と並び不登校の子によくつけられる診断名の一つだ。今回のカオリのようにストレス下でトイレから出て来られなくなるのがその典型例だ。

それにしても症状の出方が気になる。通常不登校の子は様々な身体症状を訴えて不登校になる。お腹が痛い、頭が痛い。体が怠い。足が重いなどだ。これらは過度なストレス下に身を置き過ぎた結果、自律神経が体に強制ブレーキをかけているものとして理解される。それがなぜ今起きたのだろうか。思えば、カオリは最初熱中症のような症状を訴えて倒れた。その後布団から出てこれなくなったのが不登校の始まりだ。熱中症自体が本当に炎天下に立たされたことが原因でなったのかは今知る由もないが、その後はこれと言った身体症状の訴えがなかった。そしてこれまでの自律神経のトレーニングと母子関係の改善で少しずつカオリの自己調整能力が発達し、過度な自律神経のアクセル、ブレーキワークを減らすことで、カオリが自分の意思で自分をコントロールできるようになることを目指してきた。ところがIBSは自分の意思とは無関係に起こる強制ブレーキの一種だ。それも出方としては最初よりも重い。なぜだ。改善が見られていると思っていた矢先の出来事に私も混乱する。
一つ考えられることは、カオリの抱えているトラウマが母子関係の改善で解決できるようなものではないという可能性。もっと直接的に扱わないといけない可能性。
それを明らかにし、本格的な介入をするとなると。。。やはり扱わないわけにはいかない。私が今まで見ようとしてこなかった問題を。しかし・・・その準備が整わないとどうしようもない。

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