こころ日誌#8
板挟み
時間になり母親が迎えに来た。
中に招き入れ、ストーブに当たってもらう。 「今日はこんな天気の中、本当によく連れてきていただきました。運転、大丈夫でしたか?」 カウンセリングの代金を頂いて領収書を渡すやり取りをしながら軽く雑談のつもりで話を振る。
「今日は実は主人に送ってもらったんです。今も、車の中で待ってます」 今まで全く話題に上がっていなかった父親であったが、私がカオリに両親の話を振ったタイミングで登場したことに少し驚きを感じる。
「そうだったんですね。じゃ、1時間二人で車の中でお待ちいただいてたんですか?」 まさか。そんなわけないよな。近所にあるディスカウントストアで時間をつぶしていたのかなと思いながら聞く。しかし私の予想は裏切られた。
「はい。二人で話し合っていたんです。実は・・・」 母親の声のトーンが下がる。言いづらいことを伝える合図だ。私も無意識に身構えてしまう。
「主人が、ここに来るのを反対していまして。私はここでこの子が言いたいことを専門の人に聞いてもらって、心が軽くなってくれるといいと思うんですが・・・。主人は他人を頼るな。私がカオリの話を聞いてやらないのがいけないんだって」
私は動揺する自分をできるだけ出さないように心掛けたが、目が少し泳いだのを自覚した。
面接時間が終了してから、こういった重要な話が出てくるというのは、カウンセラーとして対応が難しいと感じることのひとつだ。しっかりと取り合わないといけない話題ではあるが、一方で面接時間は終了しており、この対応に時間をかけすぎると、今後なし崩し的に時間外に私を頼ってくることもあり得る。
通常、私たち臨床心理士は面接の枠というものをとても意識する。お互いの合意に則って約束の時間内、カウンセラーはクライアントのために全身全霊を傾けて話を聴き、援助するのである。枠の内と外をはっきりと切り分けることで、専門家が専門家としていられるのだ。それに、母親は最初に自分から面接場面に現れないという選択をした。そこは母親のカウンセリングに対する線引きであったと理解しているが、ここでしっかりとその線を確認しないと、その都度、母親の都合の良いように線が書き換えられてしまう可能性もある。
しかし、1時間車の中で父親と話し合って、その上で、敢えてここで私に伝えてきたということは、私の対応いかんによっては、カオリとのカウンセリングも本当にここで中断になってしまうだろう。せっかくここまでカオリとの関係を築いてきて、いざ本格的な介入が始まったところだ。
私は迷った挙句、頭がまとまらないままに口を開く。「そうでしたか。今日はお時間も来ていますが、とても大事な話だと思います。どうでしょう。改めてお母さんと私の面談を設定して、そのことについてお話できればと思うのですが。実は今日はカオリちゃん、とっても頑張ってくれたんです」
この話題をカオリの前で長引かせることで、これ以上カオリに負担をかけたくないという思いと、カオリの頑張りを伝えて母親にカウンセリングの意義を理解してもらいたいという思いが交錯する。しかし、その私の思いはあまり伝わっていなさそうだ。
「それは主人も一緒にですか?」 まとまらないままに話してしまったことを後悔する。話の流れを考えれば当然想定していなければいけない質問だ。さらに、このとき、母親が父親と一緒に面接することを望んでいるのか、そうでないのかも読み取れなかった。
「もちろんお父さんもお越しいただいてもかまいませんし、お母さんだけでもいいですよ」 こうなると出たとこ勝負になってしまう。この時点で私の中に父親へのアプローチはまだ考えていなかった。さらに、初回にカオリへの緊張緩和のトレーニングを提案したら、次からは来なくなった母親だ。次回カオリと同席する提案をしているのか、カオリとは別に母親のみの面談を提案しているのかも伝わっていないかもしれない。冷静に考えれば分かることだが、このとき私にも余裕がない。
母親も少し考えるように間をおいてから答える。「でも、今日はこういう天気で主人も午前中リモートで仕事していましたので時間が取れたんですが、平日ということになると、夫婦揃ってというのが難しいかもしれないです。一旦主人と話し合っていいですか?」 一旦ということは、今は結論を出さないということだ。そして、この場は幕引きになる。その母親の対応に少しホッとしてしまう自分を感じる。嫌な客にお帰りいただける店員の気持ちそのものだ。
しかしホッとして余裕ができたからこそ、そんな自分を少し客観的に見られるようになる。・・・いけない。目の前の母親はカオリの不登校について、本当に困って、私に援助を求めてきてくれたのだ。しかも今父親にその判断を否定されて板挟みに遭っている。
「そうですね。ちょっと仕切り直しましょうか。お母さん、最初にここに来ていただいたとき、本当に悩みぬいて来ていただいたと思うんです。そのお気持ちに私も誠心誠意お応えしたいと思っています。そのために改めて、ここで私がカオリちゃんと何をしているのか。今後の見通しもお伝えして、お母さんやお父さんにもどう関わっていただくか話し合って行ければと思います」 私は机に常備している卓上カレンダーを手に取って、日にちをペンで指し示す。
「ですから・・・カオリちゃんはいつも通り、2週間後の2月3日で、お父さんとお母さんについてはまたご連絡いただくということでいかがですか?」
母親もそこはスムーズに 「わかりました。よろしくお願いします」と返事をくれた。
二人を送り出すとき、今日のセッションや、今の私と母親との会話を、カオリがどう体験したのかが気になった。しかしマスクで顔の下半分が覆われているその表情からは、それを読み取ることができなかった。
二人を送り出した後、火が消えないように薪ストーブに薪を追加し、パソコンを起動させる。今日の記録は少し長くなりそうだ。パソコンが起動するまでの間に、インスタントコーヒーの粉をカップに入れ、薪ストーブの上でカタカタと音を立てているやかんから熱湯を注ぐ。とても熱くて口をつけることもできないコーヒーカップを片手に、パソコンの前に座り、頑張って音を立てながらも起動するのに時間のかかる古いパソコンの真っ黒な画面を見ながら、今しがたあったことを振り返る。
母親が、カオリと心中しようとした場面・・・どの程度母親は本気で言っていたのだろうか。少なくとも今日のカオリの様子から、当時のカオリには自分の命が脅かされるほどの危険を感じた場面だったと考えるのが妥当だろう。そうでなかったとしても、目の前で両親がケンカしているという状況は子どもの心を深く傷つけ、正常な発達に負の影響を及ぼすことは数々の研究によって明らかにされている。
今回のセッションはカオリにとってかなり負担であっただろう。
普段蓋をしているトラウマを直視するのは、膿の溜まった傷口を開くようなものだ。全ての膿を出し切って、再度蓋をし、その傷が完全に癒えるまでサポートする。まさに外科手術のようなイメージがトラウマケアにはある。
その意味では、今回出されたのはカオリが負っている膿全部の何十分の一かもしれない。しっかりグラウンディングをして帰したつもりだが、最後の母親とのやり取りは心の傷口に染みただろう。
「母親がカオリの言うことを聞いてやらないからいけない・・・」 カオリの不登校を母親のせいにする父親の姿勢が明らかになった。私は母親が迎えに来たときには、母親が父親との同席を望んでいるかどうか分からないと思ったが、ことによると母親は私に助けを求めていたのかもしれない。専門家の意見として、父親に直接カウンセリングの有効性を伝えてほしかったという可能性は大いにある。
かと言って、私が母親の味方をして、父親を説得するような構図をつくることが今後のカオリだけでなく、この家族全体への援助として適切かどうかもまだ分からない。やはり、後先考えずにそのような行動に出るべきではないだろう。
カウンセラーの勝負する場所はあくまでも面接室の中だ。カウンセリングの中で、クライアントの心に寄り添い、傷を癒し、心のエネルギーを回復して帰ってもらうのがカウンセラーの仕事だ。もし私が父親に直接会って話すとしたら、面接室の中にクライアントとして来てもらったときだ。
アセスメント
・カオリの負っているトラウマの蓋が少しずつ開き始めた。
・中身としては、面前DVの可能性あり。そうでなくても両親の不仲がカオリの安全を脅かし、トラウマとなっている。
・父親は母親を責める姿勢。これは不登校の問題だけでなく、結婚してからずっと一貫している可能性が高い。
方針
・カオリに対する対応は不変。
・夫婦関係の調整も視野に入れる。
どういう面接形態になるのかまだ分からない状態で、漠然とした方針だ。我ながら心もとないと思いつつ、取りあえず保存ボタンを押して、記録を閉じた。
中に招き入れ、ストーブに当たってもらう。 「今日はこんな天気の中、本当によく連れてきていただきました。運転、大丈夫でしたか?」 カウンセリングの代金を頂いて領収書を渡すやり取りをしながら軽く雑談のつもりで話を振る。
「今日は実は主人に送ってもらったんです。今も、車の中で待ってます」 今まで全く話題に上がっていなかった父親であったが、私がカオリに両親の話を振ったタイミングで登場したことに少し驚きを感じる。
「そうだったんですね。じゃ、1時間二人で車の中でお待ちいただいてたんですか?」 まさか。そんなわけないよな。近所にあるディスカウントストアで時間をつぶしていたのかなと思いながら聞く。しかし私の予想は裏切られた。
「はい。二人で話し合っていたんです。実は・・・」 母親の声のトーンが下がる。言いづらいことを伝える合図だ。私も無意識に身構えてしまう。
「主人が、ここに来るのを反対していまして。私はここでこの子が言いたいことを専門の人に聞いてもらって、心が軽くなってくれるといいと思うんですが・・・。主人は他人を頼るな。私がカオリの話を聞いてやらないのがいけないんだって」
私は動揺する自分をできるだけ出さないように心掛けたが、目が少し泳いだのを自覚した。
面接時間が終了してから、こういった重要な話が出てくるというのは、カウンセラーとして対応が難しいと感じることのひとつだ。しっかりと取り合わないといけない話題ではあるが、一方で面接時間は終了しており、この対応に時間をかけすぎると、今後なし崩し的に時間外に私を頼ってくることもあり得る。
通常、私たち臨床心理士は面接の枠というものをとても意識する。お互いの合意に則って約束の時間内、カウンセラーはクライアントのために全身全霊を傾けて話を聴き、援助するのである。枠の内と外をはっきりと切り分けることで、専門家が専門家としていられるのだ。それに、母親は最初に自分から面接場面に現れないという選択をした。そこは母親のカウンセリングに対する線引きであったと理解しているが、ここでしっかりとその線を確認しないと、その都度、母親の都合の良いように線が書き換えられてしまう可能性もある。
しかし、1時間車の中で父親と話し合って、その上で、敢えてここで私に伝えてきたということは、私の対応いかんによっては、カオリとのカウンセリングも本当にここで中断になってしまうだろう。せっかくここまでカオリとの関係を築いてきて、いざ本格的な介入が始まったところだ。
私は迷った挙句、頭がまとまらないままに口を開く。「そうでしたか。今日はお時間も来ていますが、とても大事な話だと思います。どうでしょう。改めてお母さんと私の面談を設定して、そのことについてお話できればと思うのですが。実は今日はカオリちゃん、とっても頑張ってくれたんです」
この話題をカオリの前で長引かせることで、これ以上カオリに負担をかけたくないという思いと、カオリの頑張りを伝えて母親にカウンセリングの意義を理解してもらいたいという思いが交錯する。しかし、その私の思いはあまり伝わっていなさそうだ。
「それは主人も一緒にですか?」 まとまらないままに話してしまったことを後悔する。話の流れを考えれば当然想定していなければいけない質問だ。さらに、このとき、母親が父親と一緒に面接することを望んでいるのか、そうでないのかも読み取れなかった。
「もちろんお父さんもお越しいただいてもかまいませんし、お母さんだけでもいいですよ」 こうなると出たとこ勝負になってしまう。この時点で私の中に父親へのアプローチはまだ考えていなかった。さらに、初回にカオリへの緊張緩和のトレーニングを提案したら、次からは来なくなった母親だ。次回カオリと同席する提案をしているのか、カオリとは別に母親のみの面談を提案しているのかも伝わっていないかもしれない。冷静に考えれば分かることだが、このとき私にも余裕がない。
母親も少し考えるように間をおいてから答える。「でも、今日はこういう天気で主人も午前中リモートで仕事していましたので時間が取れたんですが、平日ということになると、夫婦揃ってというのが難しいかもしれないです。一旦主人と話し合っていいですか?」 一旦ということは、今は結論を出さないということだ。そして、この場は幕引きになる。その母親の対応に少しホッとしてしまう自分を感じる。嫌な客にお帰りいただける店員の気持ちそのものだ。
しかしホッとして余裕ができたからこそ、そんな自分を少し客観的に見られるようになる。・・・いけない。目の前の母親はカオリの不登校について、本当に困って、私に援助を求めてきてくれたのだ。しかも今父親にその判断を否定されて板挟みに遭っている。
「そうですね。ちょっと仕切り直しましょうか。お母さん、最初にここに来ていただいたとき、本当に悩みぬいて来ていただいたと思うんです。そのお気持ちに私も誠心誠意お応えしたいと思っています。そのために改めて、ここで私がカオリちゃんと何をしているのか。今後の見通しもお伝えして、お母さんやお父さんにもどう関わっていただくか話し合って行ければと思います」 私は机に常備している卓上カレンダーを手に取って、日にちをペンで指し示す。
「ですから・・・カオリちゃんはいつも通り、2週間後の2月3日で、お父さんとお母さんについてはまたご連絡いただくということでいかがですか?」
母親もそこはスムーズに 「わかりました。よろしくお願いします」と返事をくれた。
二人を送り出すとき、今日のセッションや、今の私と母親との会話を、カオリがどう体験したのかが気になった。しかしマスクで顔の下半分が覆われているその表情からは、それを読み取ることができなかった。
二人を送り出した後、火が消えないように薪ストーブに薪を追加し、パソコンを起動させる。今日の記録は少し長くなりそうだ。パソコンが起動するまでの間に、インスタントコーヒーの粉をカップに入れ、薪ストーブの上でカタカタと音を立てているやかんから熱湯を注ぐ。とても熱くて口をつけることもできないコーヒーカップを片手に、パソコンの前に座り、頑張って音を立てながらも起動するのに時間のかかる古いパソコンの真っ黒な画面を見ながら、今しがたあったことを振り返る。
母親が、カオリと心中しようとした場面・・・どの程度母親は本気で言っていたのだろうか。少なくとも今日のカオリの様子から、当時のカオリには自分の命が脅かされるほどの危険を感じた場面だったと考えるのが妥当だろう。そうでなかったとしても、目の前で両親がケンカしているという状況は子どもの心を深く傷つけ、正常な発達に負の影響を及ぼすことは数々の研究によって明らかにされている。
今回のセッションはカオリにとってかなり負担であっただろう。
普段蓋をしているトラウマを直視するのは、膿の溜まった傷口を開くようなものだ。全ての膿を出し切って、再度蓋をし、その傷が完全に癒えるまでサポートする。まさに外科手術のようなイメージがトラウマケアにはある。
その意味では、今回出されたのはカオリが負っている膿全部の何十分の一かもしれない。しっかりグラウンディングをして帰したつもりだが、最後の母親とのやり取りは心の傷口に染みただろう。
「母親がカオリの言うことを聞いてやらないからいけない・・・」 カオリの不登校を母親のせいにする父親の姿勢が明らかになった。私は母親が迎えに来たときには、母親が父親との同席を望んでいるかどうか分からないと思ったが、ことによると母親は私に助けを求めていたのかもしれない。専門家の意見として、父親に直接カウンセリングの有効性を伝えてほしかったという可能性は大いにある。
かと言って、私が母親の味方をして、父親を説得するような構図をつくることが今後のカオリだけでなく、この家族全体への援助として適切かどうかもまだ分からない。やはり、後先考えずにそのような行動に出るべきではないだろう。
カウンセラーの勝負する場所はあくまでも面接室の中だ。カウンセリングの中で、クライアントの心に寄り添い、傷を癒し、心のエネルギーを回復して帰ってもらうのがカウンセラーの仕事だ。もし私が父親に直接会って話すとしたら、面接室の中にクライアントとして来てもらったときだ。
アセスメント
・カオリの負っているトラウマの蓋が少しずつ開き始めた。
・中身としては、面前DVの可能性あり。そうでなくても両親の不仲がカオリの安全を脅かし、トラウマとなっている。
・父親は母親を責める姿勢。これは不登校の問題だけでなく、結婚してからずっと一貫している可能性が高い。
方針
・カオリに対する対応は不変。
・夫婦関係の調整も視野に入れる。
どういう面接形態になるのかまだ分からない状態で、漠然とした方針だ。我ながら心もとないと思いつつ、取りあえず保存ボタンを押して、記録を閉じた。