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愛知県立阿久比高校さんに現職教育の講師で行ってきました

愛知県立阿久比高校さんに現職教育の講師で行ってきました

学校の先生は夏休みに色々な研修を受けます。
その一環として、講師を依頼され、愛知県立阿久比高校さんに行ってまいりました。
講義依頼のテーマは「無気力な生徒をどうしたらいいのか?」です。
伺ったところ、何をするにもやる気がなさそうで、働きかけに対する反応に手ごたえを感じにくい生徒が増えているという感覚が先生方にあるそうです。
そんな高校生の子どもたちをどう理解したらいいんだろう?
そんなテーマでお話をさせていただきました。
もちろんそのことについての私の考えも簡単に触れますが、このブログで私が書きたいのはもう少し別のことです。

こんなお話をしてきました

私の話の要約は、一言で言うと「健全な内的ワーキングモデルを育てましょう」です。
内的ワーキングモデルっていきなり専門用語を出してしまいましたが、世界観と言っていいかもしれません。
世の中や自分に対する感じ方、ものの見方といったものです。
例えば、「自分には価値がない」「世の中の人は信頼できない」などは不健全な内的ワーキングモデルの一例です。
健全な内的ワーキングモデルでは「自分は愛されるに足る存在だ」「世の中は自分が働きかければちゃんと応えてくれる」などです。
このような信念、信条を子どもの中にいかに育てるかという話をさせてもらいました。

先生方の反応は?

お話が終わった後の質疑で、「多様性を認めていこうという方向に社会が動いていることは好ましいことなのか。その結果社会不適応者が増えているのではないのか」といったことが話題になりました。例えば発達障がいのある子を矯正しようとするのではなくて、その在り様を認めていった結果、その人は本当に社会適応していけるのかという問いです。学校の先生方のお仕事は、あくまでも子どもたちを指導し、立派な社会人を育てることだという前提から出てきた質問でしょう。
我が国において学校が教育の根幹をなす機関であることは疑いようがありませんし、私はそこで仕事をしている先生方を心からリスペクトしています。それでも、私の語りから、「学校が子どもを型にはめることがよくない」というように伝わってしまった部分があり、こういう話になったのかと思います。

教育界という巨大なうねり

私はその問題を提起してくれた先生に、様々な人の話を聞いて、勉強して、その上でご自身の信条に合致する方法で子ども達を導いてくれるようにとその場では答えました。曖昧な返答に聞こえるかもしれませんが、それこそが多様性であると私は考えます。質問に対する私なりの考えはありますが、今回私は講師という立場でお話をさせていただきました。一同僚とは違います。
そんな私が、例えば「その質問への答えはこうだ」と理論立てて話したとします。それが正解になってしまっていいんですかという話です。もしくは、「あの講師の言うことは私の考えとは違う」と一蹴されてしまうかもしれません。どちらにしても話が深まりません。

世の中には様々な考えや立場から教育に携わっている人がいて、巨大な教育という業界を作っています。それは巨大なうねりのようなものであると思います。「多様性を認める社会」が表面的なものなら、いずれうねりの中で消えていくでしょう。我々一個人がそのうねりの中でできることはほとんどないと言ってもいいかもしれません。では何をしたらよいのか?教育に携わる一人一人が、深まりのある議論を絶えずしていくなかで、そのうねりの向かう方向性を見つめ続けることではないでしょうか。

最後に阿久比高校の先生方。
私のお話を真剣に聞いていただいて、本当にありがとうございました。