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名古屋市の障がい児保育巡回指導に行ってまいりました。

名古屋市の障がい児保育巡回指導に行ってまいりました。

先日、名古屋市から委託を受け、障がいを持つ子どもたちを受け入れている保育園にスーパーバイザーとして訪問しました。この制度は、名古屋市内の保育園に通う主に発達障がいのある子どもたちを対象に、園や保護者の不安や困りごとについて相談に乗ることを目的としています。

初めて訪れる保育園でしたが、非常に丁寧に対応していただき、こちらが恐縮するほどでした。それだけ園側が困難を抱えており、巡回指導員に大きな期待を寄せているのだと感じました。

子どもの様子を観察

到着後、最初に子どもたちの様子を観察しました。子どもたちが活動する部屋に入ると、最初は照れくさそうに手を振っていた子もいましたが、あっという間に多くの子どもたちが私のところに集まってきました。中には私によじ登ろうとする子や、手をつなぎたがる子、「名前は何?」や「何時までいるの?」と質問してくる子、自分が作ったレゴやラキューの作品を見せてくれる子など、さまざまな方法で私と関わろうとしてきます。見知らぬ人に対する子どもたちの純粋な好奇心とそのパワーは、本当に素晴らしいと感じました。

話し合われたテーマ

しばらく子どもたちの様子を見た後、対象児童の親御さんと担任の先生、私の三者でお話しをしました。もちろん詳しい内容はお伝えできませんが、話の中で、障がいのある子どもをどの程度集団活動に参加させるべきかというテーマがありました。障がい児統合保育という理念と、それを実践する際に直面する困難との間で葛藤している園や保護者の様子が伝わってきます。それに対する私の返答を要約すると、「参加を促すのは良いが、もし嫌がるようなら無理に強いるのは避けてください」といった内容です。我ながら曖昧な返答だと思います。その際に担任の先生が、「できるだけ参加を促すんですが、とても嫌そうな顔をされると強制するのは違う気がするんです」とおっしゃっていました。私はそのセンスに感銘を受けました。保育園の先生方は、日々の多忙な業務の中で、単に決められたことを決められたとおりにこなすのが手一杯という園は多いと思います。そんな中でも、子どもの表情をしっかり見て、常に考えて、ギリギリの判断をされていることに、深く感謝と尊敬の気持ちを抱いたのです。

子どもを導くうえで「どうしたらいい?」と迷ったときに大切なこと

実は、これは先日、阿久比高校の現職教育で受けた質問と本質的に同じテーマです。集団活動を嫌がる子どもを、嫌だからといって自由にさせていいのか、その先にその子の社会適応が待っているのかという問いです。非常に難しい問題だと思います。最終的には教育哲学に関わる話であり、一人の子どもにとっての正解が、別の子どもにとっては不正解であることもあります。また、どの選択をしても、すべてがうまくいく方法など存在しません。悪い結果が出れば、「あの時こうしていれば」と後悔することもあるでしょう。

そして、その決断の結果と責任を負うのは支援者ではなく、当事者である親や本人です。そのため、カウンセラーである私としては、保護者の方としっかり話し合い、不安を抱えながらも、目の前の一つ一つの決断を下す手助けができればと思っています。保護者や関わる大人が子どもを導く際、私のような第三者からの回答をそのまま実践するのではなく、不安を抱えつつも自分で考えて決断し、実践していくのを手助けしたいというのが私の願いです。と言うのも、その決断の姿勢こそが、子どもたちに多くのことを伝えると私は信じているからです。上に書いたように子どもたちは好奇心の塊です。大人をじっと見ています。困難に直面した時にどう乗り越えるかという姿勢を見ているのです。それは何を決断するか以上に子どもたちに重みをもって伝わることではないでしょうか。