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発達障がい者が救う日本の未来

発達障がい者が救う日本の未来

今回は少し過激なタイトルをつけてみました。
でもタイトルで私の言いたいことがピンと来た人も多いかもしれませんね。
そうなんです。現状の診断で発達障がい者とカテゴライズされる方々こそが私は日本の未来を創る要になる存在だと確信しています。

・歴史上達成された偉業の陰には発達障がいの特性があった!

これは今更言うまでもないのかもしれませんが、歴史を紐解けばエジソン、レオナルドダヴィンチ、坂本龍馬など、発達障がい者だったと思われる偉人は枚挙に暇がありません。「発達障がい」「偉人」で検索すると、むしろ歴史上の有名人は全員発達障がい者なのではないかと思わされるほどに色々なビッグネームが出てきます。
でも、これはそもそも発達障がいとは何かを考えれば当たり前のことなのかもしれません。
では、発達障がいとは具体的に何なのでしょうか。それはつまり、発達の特性が凸凹な状態です。特性の凸凹って何?と思われるかもしれませんね。人間には得意不得意があると言えば分かりやすいかもしれません。勉強は得意だけど運動は苦手だったり、特定の分野で物凄い物知りなのに、一般的なことは全然知らなかったりなど、得意なことと苦手なことの差が一般に想定されるよりも大きい場合、発達特性が凸凹していると表現されることが多いです。そして、世界の偉人として名を遺すには、その得意な部分が何万分の1のレベルで極端に突出していないと無理なのかもしれません。

・発達障がいの特性はどうやって測定されるのか?

現状発達障がいの診断するときの参考資料として有力とされるものの一つにウェクスラー式知能検査というものがあります。幼児向け、子ども向け、大人向けにそれぞれ用意されていますが、一番メジャーな子供向けの物をWISCと呼んでいて、現在第5版まで出版されています。問題の難易度が違うだけで他の年齢層向けの検査も基本的な考え方は同じなので、この記事内ではウェクスラー式知能検査を代表してWISCを取り上げていきたいと思います。
ではWISCという知能検査は何を見ているかと言うと発達の特性の凸凹です。記憶力や言葉の発達、物事の捉え方、思考のスピードという4つの特性についてこの年齢の子は平均するとこのくらいできるよねという基準が設けられています。そしてその基準に対する到達度を測っていきます。ある人は、例えば言葉の発達は基準よりも大幅に上回るかもしれませんが、一方記憶力は大幅に下回るのかもしれません。このように測定された到達度を数値化してさらに折れ線グラフに表すと、できる部分とできない部分の差が激しいため、形が凸凹して見えるわけです。そしてその凸凹が大きい人が発達障がいと診断される可能性が高い人となります。

・発達障がい者が社会に恩恵をもたらす可能性

発達障がいに偏見を持っている人は、この凸凹を余りいいものと思っていない節があると感じます。例えば記事の書き出し部分で触れたような偉人と発達障がいの関連について言うと、「そんなのは極一部の限られた人で、ほとんどは社会の迷惑者だ」という反論をする人がいます。そんなことを訴える人の多くは発達障がいの方に実際に何か迷惑をかけられたことがあるのかもしれませんね。ですが私に言わせれば発達障がいの方で回りに許しがたい迷惑をかけるような人こそ、ほんの一部であると感じています。このことについて話し始めると今回の記事の論旨から逸脱してしまうので、また別の機会に論じたいと思います。
ここでは発達障がい者が社会にかける迷惑を論じるよりも、その才能が社会にもたらす恩恵に注目したいと思います。
私は長年不登校の子ども達やその親から相談を受けてきました。彼らの中には発達障がいの診断を受けている人もいましたが、そうでなくても限りなくそれに近い、単に病院に行っていないだけで、医師の診断を仰げば当然何らかの発達障がいと言われると思しき人もたくさんいました。その中から守秘義務を超えない範囲でエピソードを紹介したいと思います。
ある中学生の不登校生徒Aくんはいじめをきっかけに不登校になりましたが、家にいる間にスマホに代表されるITガジェットをいじり続けます。リサイクルショップでただ同然のジャンク品のガジェットを仕入れては自分で修理したり改造したりしていました。私が家庭訪問するといつも嬉しそうに「液晶が割れたスマホとバッテリーが死んだスマホを合成して完動品を一つ創り上げた」「iphone端末にandroid OSを走らせた」と報告してくれました。
アプリ開発に力を入れていた不登校中学生のBくんは、自ら開発したアプリの有用性が認められて、企業から投資したいという申し出を受けました。Bくん曰く、相手の企業も、アプリの開発者が中学生とは思ってなかったみたいだと言っていました。
更にCくんです。彼は中学3年間不登校している間にパソコンを使って世界中のパソコン好きな若者と独学で覚えた英語でコミュニケーションを取り、会社を立ち上げます。Cくんはマイナーなプログラム言語を自在に操れたそうで、それが買われて仲間と作った会社の中でも重要な役割を任されるようになります。その結果中学生の内に日本円にして数百万円を蓄えることに成功しました。
他にも絶賛不登校中の若者で一日中ゲームに没頭している子、パソコンで絵を描いている子、小説を書いては電子書籍として投稿している子など、本当に様々な子たちがいますが、彼らもとても素晴らしい才能を秘めている子ども達であると感じています。Cくんのように世界で活躍できる可能性を秘めている人たちだらけだと圧倒されます。

・今後、日本の教育界が目指すべき道

現在、日本の経済、国際競争力が急激に衰えているのを肌で感じている国民は少なくないでしょう。この現状を打破するためにはかなり大きな改革の一手が必要であることに異を唱える人も多くはないのではないかと思います。そのような状況で私が最優先で改革すべきだと感じるのは教育分野です。
日本の義務教育ではほぼ全ての活動を集団ですることが求められます。そして集団で活動するためには周りをよく見て自身を周囲に合わせる必要があります。それができないと先生から怒られたり、友達から村八分に遭ったり、悪くするといじめられたりします。このような教育により、本来〇だけでなく、△や□といった色々な形をしている子どもたちの個性が削られて行って、どんどん〇に近づいていきます。いろんな形を〇の一種類にすることこそが教育の成果と言わんばかりです。それは効率の良い教育活動には確かに必要なことなのでしょう。様々な個性を持っている人に授業するより、単一の特性の集団の方がはるかに授業はしやすいのは私も大学で長く講義を担当していて身に染みています。ですがその教育はどうしても〇になり切れない子どもたちを阻害し、不登校に追い込みます。その結果がAくんであり、Bくんであり、Cくんなのです。
日本の義務教育を完全な〇の形で卒業し、そのまま国内で競争率の高い大学へ進学したエリートと呼ばれる人たちはもちろん素晴らしいと思います。そのルートを否定するつもりは毛頭ありません。ですが今後日本が世界と戦っていくうえで、〇い形をした人たちだけでは不十分ではないでしょうか。△や□い形をした人たちの中には素晴らしい才能を秘めている人たちがたくさんいて、彼らこそが日本社会にイノベーションを起こす原動力になると私は確信しています。そして才能にあふれた△や□い形をした人たちをいかに社会につなげて、生産性のある仕事に従事できるルートを創り上げるかというのが喫緊の課題なのです。
現在通信制の高校が急速に社会に広がっています。これがその答えです。今の社会は子どもたちを〇い形にしようとする学校だけでは成り立たないのです。ですが、まだまだこの動きは民間が主導しており、国や自治体レベルで対応していかなければ、需要に追いつきません。この動きを義務教育の段階から早急に拡充していくこと、△や□い形をした人たちの才能を伸ばし、今後の日本の要になっていく人材を育成していくことが急務なのです。