『こころ日誌』舞台裏その7
クライアントの「治る力」とトラウマの連鎖を断ち切る時
前回は夫婦合同面接の緊張感についてお話ししました。
今回は、カオリによる「絵の修復」から、物語の結末に至るまでの解説です。
なぜ、回復期にこそ最大の危機が訪れるのか? そして、世代を超えて繰り返される悲劇(トラウマの再演)をどう乗り越えるのか。
最終回に向けた、鈴木カウンセラー最後の種明かしです。
今回は、カオリによる「絵の修復」から、物語の結末に至るまでの解説です。
なぜ、回復期にこそ最大の危機が訪れるのか? そして、世代を超えて繰り返される悲劇(トラウマの再演)をどう乗り越えるのか。
最終回に向けた、鈴木カウンセラー最後の種明かしです。
1. 象徴の癒しとカウンセラーの無力さ(第43話)
プロローグから全編を通じてカオリの苦しみの象徴だった「傷ついた少女の絵」。
この絵が、カオリ自身の手によって生まれ変わり、魂の復活を遂げるシーンです。
ここで私が伝えたかったのは、「クライアントを救うのはカウンセラーではない」という真実です。
私はこれまで、あの手この手を使ってカオリや山野家を救おうと躍起になっていました。しかし、それはある種の思い上がりでした。
カオリは自らの意思で鉛筆を持ち、両親に笑顔を描き加えました。根本的な癒しの力(レジリエンス)は、最初からクライアントの中にあったのです。
その力が発揮される瞬間に立ち会えること。これこそがカウンセラー冥利に尽きる瞬間であり、私がこの仕事を続けている理由かもしれません。
この絵が、カオリ自身の手によって生まれ変わり、魂の復活を遂げるシーンです。
ここで私が伝えたかったのは、「クライアントを救うのはカウンセラーではない」という真実です。
私はこれまで、あの手この手を使ってカオリや山野家を救おうと躍起になっていました。しかし、それはある種の思い上がりでした。
カオリは自らの意思で鉛筆を持ち、両親に笑顔を描き加えました。根本的な癒しの力(レジリエンス)は、最初からクライアントの中にあったのです。
その力が発揮される瞬間に立ち会えること。これこそがカウンセラー冥利に尽きる瞬間であり、私がこの仕事を続けている理由かもしれません。
2. 回復期こそ「魔の時間」である(第44話)
しかし、この感動的な成功体験の後、私はカオリの失踪に戦慄します。
ここには、私たち心理援助職が共有している「回復期こそ気をつけろ」という鉄則があります。
うつ状態のどん底にいる人は、エネルギーが枯渇しているため、実は自死などの重大な行動を起こす力もありません。
一番危険なのは、少し回復してきて「動くエネルギー」が溜まってきた瞬間なのです。
カオリが絵を描き変え、家族のために動き出したこのタイミングこそが、最も危うい時期でした。
これ以前から私はカオリのこの動き出しについて躁転(急に躁状態に入ること)の可能性を危惧してはいます。
そして、私自身がカオリがせっかく見出した生き甲斐を奪ってしまったのではないかという痛烈な後ろめたさもありました。
だからこそ私は自分の不安を抱えきれず、「枠(時間やルールの厳守)」という専門家としての規律を破ってでも、「何時でもいいから電話で知らせてください」と隆志にお願いしてしまいました。
以前の解説でお伝えした私が陥っていった落とし穴である、カウンセラーの操作性によるしっぺ返しを食らった瞬間です。
これを乗り越えられたのはカオリの健全さに他なりません。
ここには、私たち心理援助職が共有している「回復期こそ気をつけろ」という鉄則があります。
うつ状態のどん底にいる人は、エネルギーが枯渇しているため、実は自死などの重大な行動を起こす力もありません。
一番危険なのは、少し回復してきて「動くエネルギー」が溜まってきた瞬間なのです。
カオリが絵を描き変え、家族のために動き出したこのタイミングこそが、最も危うい時期でした。
これ以前から私はカオリのこの動き出しについて躁転(急に躁状態に入ること)の可能性を危惧してはいます。
そして、私自身がカオリがせっかく見出した生き甲斐を奪ってしまったのではないかという痛烈な後ろめたさもありました。
だからこそ私は自分の不安を抱えきれず、「枠(時間やルールの厳守)」という専門家としての規律を破ってでも、「何時でもいいから電話で知らせてください」と隆志にお願いしてしまいました。
以前の解説でお伝えした私が陥っていった落とし穴である、カウンセラーの操作性によるしっぺ返しを食らった瞬間です。
これを乗り越えられたのはカオリの健全さに他なりません。
3. 「ラポール」の本当の意味(第45話)
約束の時間、夫婦の後ろからカオリが現れたシーン。
これも本来ならカウンセリングの構造を崩す「アクティングアウト(行動化)」ですが、私は動揺することなく受け入れました。
物語の冒頭で、私は「ラポール(信頼関係)が築けるだろうか」と自問していました。それは「クライアントが私を信頼してくれるか」という不安でした。
しかしこの最終局面で、私はカオリの行動力と成長を疑っていません。「私がクライアントを信頼できている」。この逆転こそが、真のラポールが完成した証だったのです。
カオリが向かった先は、母の実家でした。
彼女は、無意識のうちに思い描いた「幸せな両親の絵(結婚式の写真)」が実在するのか、確かめに行ったのでしょう。
そして同時に、自分のルーツである祖父や祖母の話を聞くことで、なぜ母が苦しみを抱えてしまったのか、その連鎖の源流を確認しようとしたのだと思います。家族再生を願う彼女なりの、命がけの取材だったのです。
これも本来ならカウンセリングの構造を崩す「アクティングアウト(行動化)」ですが、私は動揺することなく受け入れました。
物語の冒頭で、私は「ラポール(信頼関係)が築けるだろうか」と自問していました。それは「クライアントが私を信頼してくれるか」という不安でした。
しかしこの最終局面で、私はカオリの行動力と成長を疑っていません。「私がクライアントを信頼できている」。この逆転こそが、真のラポールが完成した証だったのです。
カオリが向かった先は、母の実家でした。
彼女は、無意識のうちに思い描いた「幸せな両親の絵(結婚式の写真)」が実在するのか、確かめに行ったのでしょう。
そして同時に、自分のルーツである祖父や祖母の話を聞くことで、なぜ母が苦しみを抱えてしまったのか、その連鎖の源流を確認しようとしたのだと思います。家族再生を願う彼女なりの、命がけの取材だったのです。
4. ケアしてもぶり返すトラウマ(第46話)
しかし、とも子はカオリの報告を「やめて!」と遮ります。
以前、薪ストーブの儀式で「母の呪い」とは決別したはずでした。しかし、トラウマとは一筋縄ではいきません。どんなに解消したと思っても、その時の記憶(トリガー)に触れれば、生々しい感情がフラッシュバックします。
でも、だからといってこれまでのケアが無駄だったわけではありません。毒素を少しずつ抜き、耐性をつけてきたからこそ、最後の毒出しが可能になるのです。
そのための最終手段として、私は「3人でのリゾネイティング」を選びました。
これまでは母と子だけでしたが、今回はそこに隆志(父)も加わります。家族3人で手をつなぎ、身体感覚としての「絆」という安全基地を作った上で、とも子の最後の独白が始まります。
以前、薪ストーブの儀式で「母の呪い」とは決別したはずでした。しかし、トラウマとは一筋縄ではいきません。どんなに解消したと思っても、その時の記憶(トリガー)に触れれば、生々しい感情がフラッシュバックします。
でも、だからといってこれまでのケアが無駄だったわけではありません。毒素を少しずつ抜き、耐性をつけてきたからこそ、最後の毒出しが可能になるのです。
そのための最終手段として、私は「3人でのリゾネイティング」を選びました。
これまでは母と子だけでしたが、今回はそこに隆志(父)も加わります。家族3人で手をつなぎ、身体感覚としての「絆」という安全基地を作った上で、とも子の最後の独白が始まります。
5. トラウマの再演と世代間連鎖(第47話)
とも子の口から語られたのは、実母から包丁を突きつけられ「一緒に死ぬ」と脅された過去でした。
これは物語の序盤で、カオリが語った覚えているはずのない記憶。1歳前後のカオリが、「お母さんが私と一緒に死ぬと言っている」場面と完全にリンクします。
これを専門用語で「トラウマの再演(Re-enactment)」と言います。
「あんな思いは二度としたくない」と強く願っているはずなのに、トラウマサバイバーは、自分が受けた心の傷と同じ状況を、無意識のうちに再現してしまうことがあります。
とも子は虐待的な母を憎みながら、娘であるカオリに対して、かつての母と同じ役を演じてしまっていたのです。これを「虐待の世代間連鎖」とも呼びます。
この悲劇の連鎖を断ち切るために必要だったのは、断罪ではなく「受容」でした。
石のように心を固くして生き延びてきたとも子を、カオリと隆志が「今の家族の愛」で包み込むこと。カオリからとも子への「お母さん大好き」という無条件の肯定、そして隆志からの心からの謝罪が、とも子の傷を癒し、希死念慮を抱えていた彼女を、「あなたたちと生きたい」という生への希望へと導きました。
ただ、ここで私が留意したいのは、隆志についてもとも子についても、抱えている問題を完全に克服したわけではないということです。上にも書いたようにトラウマはケアしても、また別の瞬間にはぶり返すことがあります。隆志だって、ずっと長年抱え続けてきたとも子への処罰感情がゼロになったわけではないでしょう。
ですが、ここでこの家族は、これまでなかった互いの傷を癒し合うという体験をしました。この体験は学習され、同じようにトラウマがぶり返した時の記憶の中のリソースにもなりますし、そのままこの家族のストレス対処法になるかもしれません。
そして何よりも大事なのは、カオリの中に健全な夫婦関係のイメージをしっかりと構築することでした。それができたことを実感したからこそ、最後に私は「もう大丈夫だろう」とアセスメントしています。
これは物語の序盤で、カオリが語った覚えているはずのない記憶。1歳前後のカオリが、「お母さんが私と一緒に死ぬと言っている」場面と完全にリンクします。
これを専門用語で「トラウマの再演(Re-enactment)」と言います。
「あんな思いは二度としたくない」と強く願っているはずなのに、トラウマサバイバーは、自分が受けた心の傷と同じ状況を、無意識のうちに再現してしまうことがあります。
とも子は虐待的な母を憎みながら、娘であるカオリに対して、かつての母と同じ役を演じてしまっていたのです。これを「虐待の世代間連鎖」とも呼びます。
この悲劇の連鎖を断ち切るために必要だったのは、断罪ではなく「受容」でした。
石のように心を固くして生き延びてきたとも子を、カオリと隆志が「今の家族の愛」で包み込むこと。カオリからとも子への「お母さん大好き」という無条件の肯定、そして隆志からの心からの謝罪が、とも子の傷を癒し、希死念慮を抱えていた彼女を、「あなたたちと生きたい」という生への希望へと導きました。
ただ、ここで私が留意したいのは、隆志についてもとも子についても、抱えている問題を完全に克服したわけではないということです。上にも書いたようにトラウマはケアしても、また別の瞬間にはぶり返すことがあります。隆志だって、ずっと長年抱え続けてきたとも子への処罰感情がゼロになったわけではないでしょう。
ですが、ここでこの家族は、これまでなかった互いの傷を癒し合うという体験をしました。この体験は学習され、同じようにトラウマがぶり返した時の記憶の中のリソースにもなりますし、そのままこの家族のストレス対処法になるかもしれません。
そして何よりも大事なのは、カオリの中に健全な夫婦関係のイメージをしっかりと構築することでした。それができたことを実感したからこそ、最後に私は「もう大丈夫だろう」とアセスメントしています。
6. 物語の円環構造(第48話・エピローグ①)
最後までお読みくださった皆さんはエピローグ①の書き出し部分が、この物語の最初の鈴木カウンセラーの登場場面と全く同じ書き出しで始まっていることに気づいたでしょうか。
これは一つのケースが終わっても、新しいケースが舞い込めば、私はまたいつもと同じようにコーヒーを飲み、心を落ち着けて準備をするというルーティンを表しています。
最初と違うのは、そこにカオリから届いた絵ハガキがあるということです。これに象徴されるのは、私がこの仕事を続けている意味そのものです。
クライアントの健全さが私に力をくれ、クライアントからもらった力を次のクライアントに返していくという円環は終わることはありません。
そして、その円環は次のクライアントがすぐに控えていることを表しています。一つのケースが終わっても、同時に他の場所では苦しみを抱えて、癒しを求めている人はたくさんいるのですから。
これは一つのケースが終わっても、新しいケースが舞い込めば、私はまたいつもと同じようにコーヒーを飲み、心を落ち着けて準備をするというルーティンを表しています。
最初と違うのは、そこにカオリから届いた絵ハガキがあるということです。これに象徴されるのは、私がこの仕事を続けている意味そのものです。
クライアントの健全さが私に力をくれ、クライアントからもらった力を次のクライアントに返していくという円環は終わることはありません。
そして、その円環は次のクライアントがすぐに控えていることを表しています。一つのケースが終わっても、同時に他の場所では苦しみを抱えて、癒しを求めている人はたくさんいるのですから。
【重大告知!】
エピローグ②を読んで不穏に思った方は多いと思います。「え?これで終わりなの?」って読んでくださった方からも言われました。安心してください。エピローグ②に出てきたモノローグの主の正体……。彼が登場する続編を、ただいま鋭意執筆中です。
題して『こころ日誌・インスペクシオ』!
『こころ日誌』は元々、『山の香りカウンセリングサービス』で行われているカウンセリングの雰囲気を皆さんに知っていただくという目的で書き始めました。ですから、小説としては説明口調が多くなって、純粋に物語を楽しみたい読者の方には没入感という意味で今一つだったかもしれません。そして、私が『こころ日誌』を書く目的そのものも執筆が進むに伴って変わっていきました。「カウンセリングの可能性をより多くの人に知ってほしい」そんな思いから次回作を書くことにしました。
ですから、次回作は、エンターテインメント重視です。今作ほど頭を使わないで読める作品を目指しています。フィクションでありながら、カウンセリングのリアルを描く! という『こころ日誌』のコンセプトを継承しつつ、より多くの人に楽しんでいただく。そんな物語に仕上りつつある『こころ日誌・インスペクシオ』。ちょっとだけお話すると次回作の舞台は学校。私が長年従事してきたスクールカウンセリングのリアルを皆様にお伝えします!
『こころ日誌』を毎週金曜日の週1連載で更新していたように、インスペクシオも今週末から週1で更新していきます。
是非、ご期待ください!
題して『こころ日誌・インスペクシオ』!
『こころ日誌』は元々、『山の香りカウンセリングサービス』で行われているカウンセリングの雰囲気を皆さんに知っていただくという目的で書き始めました。ですから、小説としては説明口調が多くなって、純粋に物語を楽しみたい読者の方には没入感という意味で今一つだったかもしれません。そして、私が『こころ日誌』を書く目的そのものも執筆が進むに伴って変わっていきました。「カウンセリングの可能性をより多くの人に知ってほしい」そんな思いから次回作を書くことにしました。
ですから、次回作は、エンターテインメント重視です。今作ほど頭を使わないで読める作品を目指しています。フィクションでありながら、カウンセリングのリアルを描く! という『こころ日誌』のコンセプトを継承しつつ、より多くの人に楽しんでいただく。そんな物語に仕上りつつある『こころ日誌・インスペクシオ』。ちょっとだけお話すると次回作の舞台は学校。私が長年従事してきたスクールカウンセリングのリアルを皆様にお伝えします!
『こころ日誌』を毎週金曜日の週1連載で更新していたように、インスペクシオも今週末から週1で更新していきます。
是非、ご期待ください!