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『こころ日誌』の舞台裏その2

『こころ日誌』の舞台裏~心理学的背景とカウンセラーの視点②~

前回に引き続き、今回も小説『こころ日誌』の解説回(裏話)をお届けします。
今回は、物語が大きく動き出す第9話から第14話までの心理的背景を解説していきます。

第9話「抵抗」について

この回、カオリは体調不良を訴えて、約束のカウンセリングに現れませんでした。
その背景に私はカオリの心理的な抵抗を見て取っています。

♪しゃべりすぎた翌朝、落ち込むことの方が多い♪

昔の歌の歌詞にありましたが、これ、誰にでも経験があるのではないでしょうか。
例えば、修学旅行の夜、深夜のテンションでみんなで恋バナ大会をした次の日の朝。「あんなこと言わなきゃよかった……」と、友達と顔を合わせるのが気まずくなるような感覚。あるいは、お酒の席でつい本音を漏らしてしまい、素面に戻ってから頭を抱えるような経験。
これは心理的に何が起こっているかと言うと、「安全性に対する認識のズレ(揺り戻し)」が起きているのです。
人は誰しも「話を聞いてほしい」という欲求を持っていますが、普段は理性のブレーキ(防衛本能)が働いていて、心の奥底にある秘密は守られています。
しかし、カウンセリングルームという守られた空間や、大雪の日のような特殊な状況下では、そのブレーキが一時的に緩みます。
その結果、普段なら絶対に言わないような深い部分が出てきてしまうのです。
第6話「大雪の日」に起きたことは、まさにトラウマの再体験(フラッシュバック)に近い現象でした。
鈴木はその場でHRV呼吸を用いて、乱れた自律神経を落ち着かせる処置(グラウンディング)を行いましたが、それでもカオリの心にかかった負荷は相当なものです。
家に帰り、日常に戻ったカオリの心は、遅れて警報を鳴らします。
「あんなことまで話してしまった! 危険だ!」と。
これを専門用語で「抵抗」や「揺り戻し」と呼びます。深く話せば話すほど、その反動で、次はカウンセリングに行くのが怖くなってしまうのです。
カオリが第8話で来られなかったのは、彼女がカウンセリングを拒否したというよりは、自分の心を守ろうとする正常な防衛反応だったと言えます。

第10話 告知と不登校の視点

続いて、母親(とも子)が一人で来談した第9話。
ここで鈴木は、夫婦関係について話し出したとも子に対し、「不登校の原因はそこ(夫婦関係)にある」とかなり踏み込んだ告知(解釈)を行います。
ここも、専門的な視点から少し補足させてください。
現実の不登校支援の現場では、本人の発達特性や、学校環境とのミスマッチなど、様々な要因を慎重にアセスメントします。
「家庭に問題がある」と安易に決めつけることは、親御さんを追い詰めてしまうため、通常は非常に慎重になる部分です。
しかし、この物語において、私はあえて「家族システム(夫婦関係)」に焦点を当てました。
それは、物語の構成上の理由もありますが、とも子の様子から「彼女自身が、薄々そのことに気づいており、誰かに指摘されるのを待っている」と感じ取ったからです。
専門用語で「解釈(Interpretation)」と言いますが、クライアントに無意識の真実を伝える行為は、タイミングを間違えると信頼関係を一瞬で壊す諸刃の剣です。
私はスーパーバイザー(指導者)から、「誰の目から見ても明らかだと判断できる時以外、解釈は伝えるべきではない」と教わってきました。
ここで私が踏み込んだのは、とも子が「覚悟」を持ってその場に座っていることが、非言語のメッセージとして伝わってきたからです。
まさに、カウンセラーとしての勝負所だったと言えます。

第11話 言葉にならない声を聴く(身体志向アプローチ)

第10話では、夫・隆志との関係で傷ついたとも子の心を扱う場面がありました。
ここで鈴木は、とも子の「言葉」ではなく、「身体の感覚」に注目させます。
「胸が締め付けられる感じ」「お腹が重い感じ」
こうした身体感覚(フェルトセンス)に浸ってもらい、その奥にある「本当はこう言いたい」という本音を掘り起こしていく。
これは「身体志向アプローチ(ソマティック心理学)」などの分野で重視される手法です。
頭で考えた理屈ではなく、身体が記憶している感情を解放(カタルシス)することで、人は初めて深い癒しを得ることができるのです。

第13話 「怖い絵」生成の裏話

さて、物語の中核となる「怖い絵」が登場しました。
ここに掲載している画像はnoteでの公開用に、AIに描いてもらったものです。
ここで少し制作の裏話をさせてください。
AIに「ナイフが刺さっている女の子」と指示しても、「暴力的・残虐な画像は生成できません」と拒否されてしまうんです(苦笑)。
なので、直接的な描写は避けつつ、プロローグにある「睨みつけているようでもあり、笑っているようでもある」という複雑な表情(敵意、諦め、迎合、覚悟)を再現するのに、プロンプト(指示文)の調整で非常に苦労しました。何度も作ってもらっては修正プロンプトを出す繰り返し。最終的には私がペイントアプリを使って手作業で修正しました。
そんな苦労の末に出来上がったあの絵。
イメージとしては、敵意を込めて笑っているようにも、絶望を感じているようにも見えるように仕上げれたのではないかと思っています。
この絵は物語の中では、カオリのSOSの象徴として扱われます。

指示的介入と儀式

さて、この絵の解釈として「カオリの心が傷ついている」と伝えた私はここで、「学校なんて行けるわけない」ととも子に無血開城を迫り、ロジャーズ派(傾聴中心)のカウンセラーなら躊躇するような、かなり指示的な介入(甘やかしの提案など)を行います。
これは、私が影響を受けているミルトン・エリクソン(現代催眠の父)のアプローチに近い関わりです。
そのエリクソン的な介入が最も顕著なのが、第13話「亡霊との別れ」での薪ストーブの儀式です。
とも子を長年苦しめてきた「お前にできるわけがない」という呪いの言葉。
これを紙に書き出し、物理的に燃やすことで、心理的な呪縛から解き放つという手法をとりました。

技法をパッケージ化して描かない理由

ここで、読者の皆様に一つお伝えしたいことがあります。
この物語では、ポリヴェーガル理論や自我状態療法、ソマティック・エクスペリエンス(SE)などのエッセンスを取り入れていますが、具体的な手順やマニュアルのような記述はあえて避けています。
また、EMDRのような強力な技法も、鈴木は使える設定ですが、小説内には登場させていません。
なぜなら、「見よう見まね」を防ぐためです。
これらの心理療法は強力な効果がある反面、専門的なトレーニングを受けていない方が、小説を読んで生兵法で他者や自分に行うと、かえってトラウマを悪化させる危険性があります。
あくまで「小説的な演出」として描いている部分と、専門家として「安全への配慮」をして省略している部分があることを、ご理解いただければと思います。

私がハマっていく落とし穴とは?

一見、感動的でうまくいったように見えるこのセッション。
しかし、物語の最後は「私は落とし穴にはまりはじめていた」という不穏な一文で締めくくられています。
カウンセリングにおいて、劇的な変化が起きた時こそ、最大の注意が必要です。
この時点で私が気づいていなかった「落とし穴」とは何だったのか?
全編を通してお読みいただいた方はご理解いただけたでしょうか。
またそれが明らかになったセッションの解説回でこのことについて取り扱いたいと思います。

今回も私のうんちくにお付き合いいただきありがとうございました。