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『こころ日誌』の舞台裏 その4

カオリが不登校、リスカ、IBSを通じて訴えていたものとは!?症状の根底にある真の願いを読み解いていくミステリー。

こころ日誌を読んでいただいている皆様、ありがとうございます。
今回も解説を書いてみました。
今回は、カオリがリスカの告白をした後の、24話から、カオリを描画に誘う37話までを二回に分けて見ていきます。

守秘は単なるルールじゃない。クライアントの回復を測るバロメーターにもなる。

まず、23話でカオリが前回はあんなに嫌がっていたのに、自分からリスカしていることを母親に打ち明けたというエピソードについてです。
これは、実は守秘に関する妙だと私は感じています。
人は誰でも自分の気持ちを誰かに伝えたい欲求を持っています。だからと言って、「こんなこと言ったら相手にどう思われるだろう?」「これを言ったら叱られる」そういう守りの気持ちがあるので、なかなか本音は言えないことが多いです。だからこそ匿名性の高い場所であるSNSでは、普段言わないような発言が飛び交っていますよね。「このくらい言っても大丈夫」という認識があるからこそ、言えるのです。実際にはその認識が間違っているようなこともあって、そこかしこで炎上を見かけますが。
その意味では、この回、カオリが母親にリスカを打ち明けたのは、それだけカオリが母親との関係の中で安全を感じることができるようになってきた結果であると解釈できるのではないでしょうか。もう一つの見方としては、カオリがリスカしていることを、とも子が薄々気づいていたことを、カオリも分かっていた可能性もあります。カオリ自身、あの「怖い絵」を意図的にとも子に見せていますからね。それでその曖昧な状況が辛いから打ち明けたという解釈も可能かと思います。
ここではカオリの場合の解釈例ですが、実際の臨床場面でも、絶対に言わないでと言うクライアントが、同じ内容を色々なところで話しているというのはよく見られる現象なのです。そういう場面に出くわすと、「なんだよ、秘密って言ってたじゃないか!」って思うのではなく、クライアントにとってこのことを他で言うことにはどのような意味があるのか?とアセスメントするわけです。

脳は忘れることで心を守る!

そして、母親のとも子は衝撃の告白をします。
自分も若いころリスカしていた。でも、そんなこと忘れていた......と。
私はここに、人間の持つ心の防衛本能の素晴らしい機能を表現したつもりです。
人間の脳は、余りに辛い記憶はを自動的に脳の奥底に封じ込めて、蓋をして見えなくするように設計されています。これを精神分析用語では抑圧と言いますし、トラウマの文脈では解離と表現されたりもします。その奥底の深さや、封じ込めの堅さは、個人差はあります。
今回は意識を向ければ思い出せるけど、普段の生活の中で意識を向けることがなかったというレベルなのかもしれません
。人によっては確かに経験したはずなのに、全く思い出せないような場合もあります。
このような解離は虐待を受けていたケースなんかでは当たり前のように起こる現象ですし、特に性的な虐待ケースでは顕著です。

癒しの介入をするために、トランス状態を見極める!

そして、とも子が、「私には手当てをしてくれる人、いなかったなぁ」って呟くシーン。
ここで、私は、「今、この瞬間、とも子はトランス状態に入っている」と判断します。トランス状態とは、変性意識とも言いますが、催眠用語です。素面でない状態と言うと分かりやすいかもしれません。
今現在のとも子の意識が弱くなり、封じ込められていた被虐児時代のとも子が顔を出している瞬間とも言えるかもしれません。
だから、そのとも子を癒す意味で、カオリにリゾネイティングの協力をお願いしました。

症状を緩和することを目指す場合に注意すること

ここでようやく、父親の隆志が登場します。
これまで、とも子やカオリから語られる隆志像はモラハラ気質で、家族に緊張感をもたらしている存在でした。ですから、私も隆志との面接には非常に緊張感をもって臨んでいるのが伝わるでしょうか。
ですが、隆志の視点から語られるのは、いつも家でカオリにきつく当たり、隆志が話しかけても怒ってばかりいるとも子像。山野家の見えていなかった部分が見え始めます。

余談になりますが、当初はとも子にADHD傾向があり、家事を全くできないことに隆志がキレているという設定も考えて、その方向で結構書き進めていました。ですが、この物語のテーマは家族の再生ですから、発達障害という概念を入れてくると、書きたいことがぼやけてしまうという壁にぶつかり、今回は泣く泣く断念しました。そのテーマについても、いずれ書きたいと思っていますので、楽しみにしていてくれると嬉しいです。

さて、とも子がカオリが生まれるまでリスカしていたが、止めてから希死念慮を訴えるようになったというエピソードが、今回の解説では目玉並みに要注目です。
それまでも、とも子は希死念慮がありました。ですが、それを表出させることはなかった。作中では「リスカが安全弁になっていた」と記述しています。この物語の中ではリスカや不登校、IBSなどが症状として書かれています。症状と言うと、往々にして困ったものとして語られてがちですが、心の問題に起因するそれらの症状は必然性があって出ているという理解はとても大事です。そしてその症状を取り上げられたとき、人は更に精神的健康度が低下してしまう。つまり症状によって、それまで自分を守っていたという解釈ができるわけです。症状は鎧なのです。そういう意味で私たち心を扱う職業は、安易に症状を取ってよしとしようという考え方には慎重であるべきです。
大切なことは鎧を脱いでも安全だと思える体験をしてもらうことです。

今回のカオリの症状の必然性については、下の第32話の解説に詳述します。

トラウマ記憶にはできるだけゆっくりと近づきます

27話では、カオリの好きな飲み物として物語序盤で出てきたコーヒー牛乳の伏線を回収しています。

さて、隆志とのカウンセリングの中でペンデュレーションという言葉が出てきます。この中身については作中で説明されている通りです。
私がここでお伝えしたいこととして、トラウマに介入する際に何よりも重視しないといけないのは、クライアントの心理的安全性だということです。
怖くなったらいつでも止められるであったり、いつでも安心できる場所に戻れるという認識。つまり自分は絶対に安全なんだという感覚を持ってトラウマに向き合うことが大切なのです。
これは二回目の隆志との面接で、より顕著に表現しています(第32話)。トラウマに向き合う前に何度も安心した記憶(リソース)に戻り、せっかちな隆志は、「早く先に進めてください」と言います。この、苛立ちを引き起こすようなスローなペースでペンデュレーションを進めていくことが大切だと感じています。

カウンセラーの問題がクライアントの問題を泥沼化させる

更に面接の最後に私が隆志を説得するシーン。
作中でも解説しているように、カウンセリングと説得は別物であると私は考えていますが、ここでは説得に走ってしまっています。
これは私の中にある操作性とも言えるものです。隆志の自己決定を尊重しない態度と言い換えてもいいでしょう。
私が私自身をスーパービジョンするとしたら、この場面はやはり説得に走りすぎていることを指摘すると思います。
この場面は最後、「カオリの期待を裏切れません」という隆志の言葉で収束するのですが、それは二回目の父親面接以降を読んでいただいた方にはもうお分かりですよね。隆志は期待に応えられないことにとても防衛的です。
つまり、私の「操作性」という病理が、隆志の「罪悪感」という病理を刺激して、合意を引き出したという、不健全なものであったことは否めません。
これが今後の面接に、どう影響していくのか、また、していかないのかも、楽しみにしていただけるといいと思います。

カオリが動き始めたことをどうアセスメントするか?

さて、次のとも子とカオリの合同面接の回に話を移します。
私はここで、カオリを夫婦の問題から解放してあげましょうという提案をしています。その後のカオリととも子とのやり取りはなかなかに感動的に表現できたのではないかと自画自賛しております。
ですが、これは、正直物語の演出としての提案という部分もあり、実際のケースならするかなぁと疑問な部分でもあります。
作中でも触れているように、カオリはリスカの告白以来、とても大きく動き始めます。
父親をカウンセリングに誘い、母親のリスカの告白を引き出します。そして、前回はリゾネイティングで母親を癒したことに、多分自己価値を見出したはずです。「自分が頑張ることで、両親を救えるかもしれない!」
この動機に対して、「あなたはあなたの人生のためにエネルギーを使うべきで、両親の問題はその責任を両親に返さないといけない」という私のスタンスがこの提案につながっています。
ですが、ここでも、見方によっては私の「操作性」が出ていると言えます。
本来、カオリの幸せはカオリだけのものであり、一見健全そうな生き甲斐を見出したなら、それをカウンセラーが取り上げる権利なんてないと言われたら、否定できない側面があります。
確かにカオリが急に動き出したことについて、動き過ぎ、つまり躁的防衛とみる向きは専門家なら当たり前の視点として持っているでしょう。作中でも、更に傷つくのを私は防がなければいけないとカオリに伝えています。専門性に基づいた介入と言えるかもしれません。
ですが、この私の提案に私は今後苦しめられることになっていきます。

いかがでしたでしょうか。
続きの解説も是非読んでいただけると幸いです。