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こころ日誌#44

失踪

今日は土曜日だ。
普段の平日ではなかなか手が込んだものが作れないため、土日くらいはある程度しっかりとした家庭料理を子ども達に振る舞いたい。
そう思いながら作った餃子とスープ、青菜の炒め物がきれいに平らげられたことに満足感を持って、私は下の娘と一緒に夕飯の後片付けをしていた。
本来、上の娘にも何か手伝わせたいところだが、テスト前で勉強が忙しいということで免除している。
妻は妻で持ち帰りの仕事を抱えているらしく、パソコンに向かっている。
時計を見るともうすぐ9時になろうとしていた。
プルルルル・・・・プルルルル

前触れもなく鳴り始めた電話の着信音に少しびっくりさせられる。携帯電話ではなく、固定電話だ。こちらにはほとんど相談室関連の電話しかかかってこない。こんな時間にかけてくるのは営業ではないはずだ。誰だろう?

「はい、もしもし」
営業時間外であるので、こちらからは名乗らず、私は相手の反応を待った。
「山の香りカウンセリングですか?」
少し高めの男性の声だ。
「はい、山の香りカウンセリングサービスです」
「夜分にすみません。山野です」

こんな時間に?なんだろう?
私は驚いて言う。
「あ、隆志さんですか。どうされたんですか!?」

「お世話になってます。実は・・・カオリがいなくなりまして」
隆志の声は明らかに動揺している。
それにつられてというわけではないが、私も揺さぶられるような感覚を覚えた。
「こんなこと今までなかったものですから、そちらで何か話していなかったか伺いたくて。心当たりはありませんか?」

つい二日前のカオリの様子を思い出す。
あんなにしっかりととも子の絵を修復し、隆志と一緒に微笑むシーンに描き変えたカオリ。しっかりと健全な両親を取り込み始めていると確信させられた矢先・・・まさかの知らせ。

私は驚きとともに心拍数が上がるのを意識しつつ、務めて冷静に振る舞い、具体的な状況を聞いていく。
「いつからいないんですか?」
隆志曰く、今日はとも子は朝から仕事。隆志は遅めに起きて、一人で朝食をとった。そのときにもカオリは部屋にいるだろうと勝手に思い確認はせず、そのまま寝た。夕方になり、とも子が帰宅し、夕食の声掛けをしても返事がないので、初めてカオリがいない事に気づいたと言う。カオリに持たせているスマホはSIMカードは入れていない。電話番号もないし、Wi-Fi環境でないと通じない。LINEで連絡をしてはいるが、既読がつかないとのことだ。

そう言えば、ネットの友達に会おうって誘われていると言っていたことを思い出す。しかし、遠方としか聞いていないので、どこの人かまでは分からない。
犯罪に巻き込まれている危険性も考慮し、守秘義務よりも優先されると考えた私はそのことを隆志に伝えた。
「そうでしたか。こちらにお電話して、分からなかったら警察に届けようと思っていました。ありがとうございます」
「そうですね。万が一ということもありますから、警察に届けるのはされた方が良いかもしれません。もし見つかったら何時でも構いません。連絡いただけますか?」

本来、ケースの予約以外でのクライアントとの接触はアクティングアウトと呼ばれ、極力避けられるべきである。面接の構造を崩してしまうと、それは結果としてクライアントとの安定した関係を棄損するリスクを伴うからだ。次の面談の時に、この問題の顛末を扱うべきなのかもしれない。
しかし私はすぐに連絡をくれるように依頼してしまっていた。
もちろん、私自らカオリを探しに街に出て行くというような明確なアクティングアウトではない。しかし私自身が心配を自分で抱えるという発想ができなかったが故の依頼である。やはり心配だったのだ。

それからしばらく私はいつ電話がかかってきてもいいように風呂に入ったり、他事をすることなく、電話の前で連絡を待っていた。

私自身、家族の再生という願いから、カオリを切り離そうとしてしまったことに負い目を感じていた。
たびたび自傷していたという事実は自己破壊衝動の表れでもありうる。
その後カオリから話題にされることはなかったので、9月以降リスカしていたかどうかは分からない。
でも、もしそれがエスカレートしていたら・・・。
健全な親の内在化がなされているというのが、私の主観的な思い込みでしかなかったとしたら・・・。

家出、
性被害、
・・・自殺。
さまざまな悪い予想が頭の中を駆け巡る。
「無事に見つかってくれ」
そう思いながらも、私にできることは、ただ、連絡を待つことだけだった。

プルルルル・・・プルルルル

次に電話が鳴ったのは最初の電話から凡そ1時間後の10時過ぎだった。
「ご心配おかけしました。カオリが見つかりました」
電話の向こうで隆志の安堵する声が聞こえた。
私も「ふ~ッ」と胸をなでおろす。
聞くと、警察に行って捜索願をまさに出そうとしていた時、電話がかかってきたとのことだ。
「カオリちゃん、電話くれたんですね」
しかし隆志は言った。
「いえ、電話をくれたのは・・・祖母です」

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