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こころ日誌#43

手当て

20〷+1年11月7日 カオリ#22
「今日は持ってきたものがあります」
相談室に招き入れると、カオリは開口一番、そう言った。
構造を個人面接に切り替えた際、「何をして過ごしてもいい」と伝えていたこと、そして、ここ2回ほど、絵を描いて過ごしていた流れから、自分で取り組みたいものを持ってきてくれたということか。
カオリの自発的な行動が増えていることを嬉しく思いつつ「何を持ってきたんですか?」と聞く。
カオリは手持ちのトートバックからクリアファイルを一枚取り出して私に見せた。
それを見て私は、背筋がぞっとするのを感じた。

「この絵・・・まだ、持ってたんだ」
クリアファイルに挟まれているのは、女の子の絵だ。
以前に母親がスマホで見せてくれた女の子の絵。。。

「ちょっとよく見せてもらっていいですか}
私が言うと、カオリはクリアファイルから取り出して、私にその絵を渡してくれた。

身体全体に何本もの刃物を刺されて、血だらけになりながら、それでいて十字架に貼り付けにされたように、両手を広げ、こちらを睨みつけるように笑う女の子。

母親がスマホのカメラで撮って見せてくれた写真では赤く血がついていたが、今はもう褐色に変色している。

「ずっと机にしまってたんです。前にここでこの絵について話したとき、鈴木さんが、この絵はお母さんだって言ってたんで。だから・・・、お母さん、手当てしてあげなきゃ」

私はカオリの申し出になんとも言えない感情が込み上げるのを感じた。
ここでカオリに母親を助けようと提案し、それをすぐに、やっぱり止めようと手のひらを返したのは私だ。
カオリのやっと見つけた生き甲斐を取り上げた私。
それでも尚、私のもとに通い続け、今また母親の傷を手当てしようと言う。
私は、勝手に涙腺が緩むのを気取られないように我慢しつつ、
「そうだね。ちゃんと手当てしてあげようね」
とカオリに賛同の意を示した。

机の上に絵を置くと、消しゴムを使って、刺さった刃物たちを消していく。
ナイフ、槍、刀、包丁、鎌。
血が色濃くついている部分は消しゴムを強く当てると、破れてしまうと思ったのだろう。慎重に作業している。
そして、全部消えたら、鉛筆で消えてしまった輪郭を補修していく。
更に、顔にも消しゴムをかける。
睨みつけていたような表情を消し、鉛筆で書き直した顔は穏やかな笑顔になった。

その様子を私が見守っていると「絵の具借りれますか?」とカオリ。
「もちろんあるよ」
と伝えて、相談室横の備品部屋に取りに行く。
その中から「普通の水彩絵の具でいいよね?」と扉越しでも届くように私が大きめの声で聞くと、「はい」と返事が聞こえた。
大きな返事ができるようになったことにもカオリのエネルギーを感じる。

部屋に戻り、「どうぞ」と絵の具セットを渡すと、私は水彩用の水をコップに汲んでくる。

絵の具の準備をして、いざ色を入れていくのかと思ったが、すぐにカオリの作業の手が止まってしまった。
しばらく動かないで考えているようだ。
「どんな風に塗るか考えているんですか?」
私が問いかけると、
「これ、上から白で塗っても多分、消えないですよね」と言う。

血が褐色に変色している部分に白い絵の具を塗ったとして、水彩絵の具の白では確かにいくつかある濃い部分は消せそうにない。
「確かに、白い洋服だと消せなさそうだね」とカオリに同調した。

しばらく、どうしようか迷っていた様子だったカオリが言った。
「そうだ!お母さんに赤いドレスを着せてあげよう」
そう言うと、絵の具から赤系の塗料を何色かパレットに出す。
それを水に浸した筆でとき、絵の上に塗っていく。
白い部分はそれでいいが、血の付いた部分は完全に同色ではない。
濃い褐色の部分をどうするのかと思って見ていたが、本当にうまいものだ。
赤いドレスにところどころ、影のように褐色になっているところがあると思えば、次に、黄色や白の塗装をすることで、光が当たっている部分とのコントラストを作り、自然に見えるように塗り替えられていった。
ところどころ、鉛筆で補修し、いつの間にか血まみれのボロ布のような服を着ていた女の子は、赤い素敵なドレスを着せられていた。
「完成ですか?」
私が聞くと、カオリは、「あと、ちょっと・・・」
と言って、再び絵の具の筆から鉛筆に持ち替える。

そして、女の子の後に・・・もう一人。
タキシードに身を包んだ男性を立たせた。こちらも鉛筆で書き終わると、水彩で色を付けていく。
そしで出来上がったのは、さながら映画タイタニックで、ケイト=ウィンスレットが手を広げ、後でレオナルドディカプリオが支えているようなポーズだ。
二人は穏やかな笑みを浮かべている。

私はこれを見たとき、カオリの中にしっかりと安心感のある両親が内在化されつつあるのを確かに感じた。
その感傷に浸っていると、早いもので、気づいたら60分という時間が過ぎていた。
インターホンが母親の迎えを知らせてくれている。
「この絵・・・まだ渇いてないから、今日はここに置いて行って、また次回もし続きがあるなら書き足すことにしませんか」
私の提案にカオリは頷いた。
そして、マスクを下げたかと思うと、湯呑のお茶を飲み干し、クッキーをそそくさと食べて行った。

今回のカオリのウルトラCとも言える行動には、私は頭が下がる以外にない。
以前の私の提案、「カオリのエネルギーはカオリ自身のために使おう」というのは間違っていたのか。その提案をしたとき、私は「私に向けて思いっきり怒って、この部屋を出たらリセットしましょう」と伝えた。あれはカオリの気持ちを余りに軽々しく扱ってしまってたのではないか。
それでもなお「家族の癒しが自分のためにエネルギーを使うということ」というカオリの主張を感じる。
私の一方的な押し付けに対して、とても健全な主張で返してくれたカオリ。彼女自身が本来持っていた回復力と成長力を見せてくれていることに対して、神々しいまでの畏敬の念を持つとともに、自身のつたない判断に対して、私は少なからず申し訳なさを感じていた。

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