こころ日誌#40
優しくされたら怖くなる
「今までのやり取りを聞いていて、私、ご夫婦の問題って、やっぱり本当に難しいなって思っています。隆志さん、とも子さんがカオリちゃんに怒っているとき、どんな気持ちなんですか?」
「なんでそんなことでいちいち怒るんだ」
「他には?」
「もっと気分よく飲ませてくれよって」
「カオリちゃんが叱られていると気分よくお酒が飲めないんですね」
「それはそうですよ」
「さっき、隆志さんは健全な家庭で育ったってとも子さんが言っていました。隆志さんのご実家は平和だった?」
「いや、まぁ、親父はそれなりに圧があって、怒ったりもしていましたが、それでもそこまでじゃなかったですよ」
「隆志さん・・・平和な暮らしを望んでいるんですね」
「ですね」
次に私はとも子に話を振った。
「とも子さん、隆志さんが平和に暮らしたいって言っています」
しかしとも子は目を伏せながら言う。
「平和・・・どんなのが平和か分かりません。私はカオリをちゃんとさせようと思って頑張ってきたんです」
「とも子さん、カオリちゃんに怒れちゃうときって、どんなときだったんでしょう」
「やっぱりやらないといけないことをちゃんとやらないときには・・・そうですね。キツくなっちゃってましたね。でも本当、勉強とか完璧を求めすぎてたんだなって、カオリが不登校になっちゃった今は思いますけど」
「なんで完璧をもとめちゃったんでしょうか?」
「なんででしょう」
「それは多分、完璧な母親たろうとしたからではないですか」
私は洞察を入れていく
「そうだったのかもしれません」
とも子の答えを聞いて、私は更に深堀りする。
「それはどうして?」
「もともと完璧主義だからですかね」
「そうなんですね・・・」一呼吸間を置いてから私はつづけた。「完璧主義の人の背景には、『完璧な私しか愛されない』という固定観念があります。とも子さん、この言葉にどのくらい同意しますか?」
「・・・」
とも子は答えない。
様子を見ていると、横目で隆志の存在を気にしている様子だ。
それを隆志も感じ取ったようだ。
「僕がいると話しづらい?」
とも子は尚もモジモジしている。
このようなとき、隆志に席を外してもらうという選択もあるにはある。しかし、今回は夫婦の合同面接だ。それでは意味がない。むしろ隆志の前で思うことが言えるということが合同面接では大切である。
そこで私は言った。
「隆志さん、お願いがあります。今日の場はお互いの気持ちを理解する場です。絶対にとも子さんを責めないでください」
「責めたりはしません」と隆志が答える。
「隆志さんがこう言っています」
とも子に伝えるが、やはり口が重いようだ。
「この場では何を言っても、この場だけの発言です。隆志さんも絶対にとも子さんのことをそのことで責めないでくださいね」
私は何度も同じ説明を繰り返す。それに隆志は頷きで応える。
そして、二人でとも子を伺っていると、ようやくとも子が言葉を発した。
「実は・・・どうしてもお義母さんが怖い」
隆志は驚いた様子で、目を見開いた。
「どうして?あんなに優しいのに」
「優しいから・・・こんな私にあんな風に優しくされたら、怖くなる」
私はとも子の告白を聞いて胸が締め付けられるのを感じた。このような感情は、虐待サバイバーがよく経験する感情のひとつだ。
私はとも子にねぎらいの言葉をかけた。
「とも子さん、よくお話してくれました。その気持ちを今日、この場で吐き出せたこと、とっても意味があると思います」
そして隆志に向かって続けた。
「隆志さん。隆志さんがとても尊敬していらっしゃるお母さんに対して、とも子さんが怖いと感じているということ、すぐには理解が難しいかもしれません。でもまずは、とも子さんが怖い気持ちを勇気をもって告白してくれたことを一緒に労いましょう」
しかし隆志は、やはり理解できないというような表情だ。
母を否定されたようで、少なからず怒りも感じているのかもしれない。
それを見て私は言う。
「もう今日は時間が近づいてきました。とも子さん、その怖い気持ち、今後の面接で隆志さんと一緒に掘り下げていきましょう。そして、隆志さん、一度、北海道の温泉で今日感じたネガティブな気持ちを全部洗い流しましょう」
私はクロージングの誘導を入れていく。
「イメージしてください。あったかいヌルヌルのお湯。硫黄の匂い。たくさん石鹸をつけて、ゴシゴシって心を洗います。そうすると、ネガティブな気持ちがきれいに洗い流されていく。綺麗になっていって、全部洗い流されたら、今日はこの話題はここで閉じたいと思います」
もちろん、そんなに全部綺麗に流されるわけではないことは分かっている。しかし、このように教示することで、次回まで気持ちを抱えやすくなる。またイメージを言語化することで、とも子も同じ絵をイメージしてもらうことも狙っていた。
それに応えるように、隆志ととも子は二人とも頷いた。
何も宣言せず、自然と、「隆志さん」「とも子さん」と呼んでいたな・・・。
私は、記録を書きながら面接を振り返っていた。当然夫婦面接なので、二人とも山野さんではおかしいわけだが、カオリの親面接と位置づければ、「お父さん」「お母さん」でもいいし、夫婦面接なら、「旦那さん」「奥さん」などでもいい。それぞれの面接の狙いによって、クライアントの呼び方も変わってくる。そして今回はファーストネームで呼んでいた。これは私の無意識の選択だ。無理に意味づけるなら、結婚に至るまでの歴史も含めて、個人を大切にしたい思いからという解釈もできる。今回の私の選択が良かったかどうかは置いておいて、こういうひとつひとつに心理臨床家としてのセンスが表れるのを感じる。
恋愛結婚の末に結ばれた二人。隆志が主体性を持って働きかけたのに対して、とも子は終始受け身的だったような印象だ。それぞれの育った家庭環境の影響だろうか。
そして、隆志の家庭環境を「異文化」として受け取ったとも子。とも子の結婚生活は異文化適応の中で、自身をいかに守るかという戦いだったのかもしれない。
アセスメント
・やさしさに触れる経験が希薄だったとも子が、初めて触れたやさしさの中で、自分が照らし出されたような感覚で怖くなった。そして照らし出された自分を完璧な母親として演出しようとした結果、カオリに対して当たりがきつくなった。
・隆志はそれに居心地の悪さを感じ、とも子への気持ちが冷めていき、それがさらにとも子のカオリへの養育態度に負の影響を与えたことが考えられる。
方針
・愛着障害の特性としての、やさしさに対する恐れや傷つきについて、隆志に理解を促していく。
「なんでそんなことでいちいち怒るんだ」
「他には?」
「もっと気分よく飲ませてくれよって」
「カオリちゃんが叱られていると気分よくお酒が飲めないんですね」
「それはそうですよ」
「さっき、隆志さんは健全な家庭で育ったってとも子さんが言っていました。隆志さんのご実家は平和だった?」
「いや、まぁ、親父はそれなりに圧があって、怒ったりもしていましたが、それでもそこまでじゃなかったですよ」
「隆志さん・・・平和な暮らしを望んでいるんですね」
「ですね」
次に私はとも子に話を振った。
「とも子さん、隆志さんが平和に暮らしたいって言っています」
しかしとも子は目を伏せながら言う。
「平和・・・どんなのが平和か分かりません。私はカオリをちゃんとさせようと思って頑張ってきたんです」
「とも子さん、カオリちゃんに怒れちゃうときって、どんなときだったんでしょう」
「やっぱりやらないといけないことをちゃんとやらないときには・・・そうですね。キツくなっちゃってましたね。でも本当、勉強とか完璧を求めすぎてたんだなって、カオリが不登校になっちゃった今は思いますけど」
「なんで完璧をもとめちゃったんでしょうか?」
「なんででしょう」
「それは多分、完璧な母親たろうとしたからではないですか」
私は洞察を入れていく
「そうだったのかもしれません」
とも子の答えを聞いて、私は更に深堀りする。
「それはどうして?」
「もともと完璧主義だからですかね」
「そうなんですね・・・」一呼吸間を置いてから私はつづけた。「完璧主義の人の背景には、『完璧な私しか愛されない』という固定観念があります。とも子さん、この言葉にどのくらい同意しますか?」
「・・・」
とも子は答えない。
様子を見ていると、横目で隆志の存在を気にしている様子だ。
それを隆志も感じ取ったようだ。
「僕がいると話しづらい?」
とも子は尚もモジモジしている。
このようなとき、隆志に席を外してもらうという選択もあるにはある。しかし、今回は夫婦の合同面接だ。それでは意味がない。むしろ隆志の前で思うことが言えるということが合同面接では大切である。
そこで私は言った。
「隆志さん、お願いがあります。今日の場はお互いの気持ちを理解する場です。絶対にとも子さんを責めないでください」
「責めたりはしません」と隆志が答える。
「隆志さんがこう言っています」
とも子に伝えるが、やはり口が重いようだ。
「この場では何を言っても、この場だけの発言です。隆志さんも絶対にとも子さんのことをそのことで責めないでくださいね」
私は何度も同じ説明を繰り返す。それに隆志は頷きで応える。
そして、二人でとも子を伺っていると、ようやくとも子が言葉を発した。
「実は・・・どうしてもお義母さんが怖い」
隆志は驚いた様子で、目を見開いた。
「どうして?あんなに優しいのに」
「優しいから・・・こんな私にあんな風に優しくされたら、怖くなる」
私はとも子の告白を聞いて胸が締め付けられるのを感じた。このような感情は、虐待サバイバーがよく経験する感情のひとつだ。
私はとも子にねぎらいの言葉をかけた。
「とも子さん、よくお話してくれました。その気持ちを今日、この場で吐き出せたこと、とっても意味があると思います」
そして隆志に向かって続けた。
「隆志さん。隆志さんがとても尊敬していらっしゃるお母さんに対して、とも子さんが怖いと感じているということ、すぐには理解が難しいかもしれません。でもまずは、とも子さんが怖い気持ちを勇気をもって告白してくれたことを一緒に労いましょう」
しかし隆志は、やはり理解できないというような表情だ。
母を否定されたようで、少なからず怒りも感じているのかもしれない。
それを見て私は言う。
「もう今日は時間が近づいてきました。とも子さん、その怖い気持ち、今後の面接で隆志さんと一緒に掘り下げていきましょう。そして、隆志さん、一度、北海道の温泉で今日感じたネガティブな気持ちを全部洗い流しましょう」
私はクロージングの誘導を入れていく。
「イメージしてください。あったかいヌルヌルのお湯。硫黄の匂い。たくさん石鹸をつけて、ゴシゴシって心を洗います。そうすると、ネガティブな気持ちがきれいに洗い流されていく。綺麗になっていって、全部洗い流されたら、今日はこの話題はここで閉じたいと思います」
もちろん、そんなに全部綺麗に流されるわけではないことは分かっている。しかし、このように教示することで、次回まで気持ちを抱えやすくなる。またイメージを言語化することで、とも子も同じ絵をイメージしてもらうことも狙っていた。
それに応えるように、隆志ととも子は二人とも頷いた。
何も宣言せず、自然と、「隆志さん」「とも子さん」と呼んでいたな・・・。
私は、記録を書きながら面接を振り返っていた。当然夫婦面接なので、二人とも山野さんではおかしいわけだが、カオリの親面接と位置づければ、「お父さん」「お母さん」でもいいし、夫婦面接なら、「旦那さん」「奥さん」などでもいい。それぞれの面接の狙いによって、クライアントの呼び方も変わってくる。そして今回はファーストネームで呼んでいた。これは私の無意識の選択だ。無理に意味づけるなら、結婚に至るまでの歴史も含めて、個人を大切にしたい思いからという解釈もできる。今回の私の選択が良かったかどうかは置いておいて、こういうひとつひとつに心理臨床家としてのセンスが表れるのを感じる。
恋愛結婚の末に結ばれた二人。隆志が主体性を持って働きかけたのに対して、とも子は終始受け身的だったような印象だ。それぞれの育った家庭環境の影響だろうか。
そして、隆志の家庭環境を「異文化」として受け取ったとも子。とも子の結婚生活は異文化適応の中で、自身をいかに守るかという戦いだったのかもしれない。
アセスメント
・やさしさに触れる経験が希薄だったとも子が、初めて触れたやさしさの中で、自分が照らし出されたような感覚で怖くなった。そして照らし出された自分を完璧な母親として演出しようとした結果、カオリに対して当たりがきつくなった。
・隆志はそれに居心地の悪さを感じ、とも子への気持ちが冷めていき、それがさらにとも子のカオリへの養育態度に負の影響を与えたことが考えられる。
方針
・愛着障害の特性としての、やさしさに対する恐れや傷つきについて、隆志に理解を促していく。