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こころ日誌#27

父親の目線

20〷+1年 9月21日 父親#1 オンライン面接
相手のカメラがつながり、画面の向こうに座っている男性を映しだした。上半身しか見えないが、黒っぽいシャツで眼鏡をかけ、頭は天然と思われるパーマ、インテリ風の眼鏡をかけているといったいで立ちだ。
「こんにちは」
私はできるだけ朗らかに挨拶をした。
「あ、こんにちは」
父親も挨拶を返してくれる。男性にしては高めの良く通る声が印象的で、カオリの声を初めて聞いたとき、母親の声質と違う感じを受けたことを思い起こさせた。しかし、マイク越しに伝わってくる口調はカウンセリングに対してドライな姿勢を感じさせる。
「今日はお忙しい中、カウンセリングのためにお時間を頂き、誠にありがとうございます。私、カウンセラーの鈴木と申します。よろしくお願いします」
と伝えると、やや表情は硬いながら、
「こちらこそ、いつも妻と娘がお世話になっております。よろしくお願いします」
と丁寧に返してくれる。
冷静に考えれば当たり前なのだが、いきなり戦闘モードで突進してくるわけではなさそうだと私の頭ではなく、感覚が判断する。
「そうですね。昨年11月からお会いしていますから、もうちょっとで1年になりますね。これまでの間、奥さんと娘さんをカウンセリングに通わせていただいたこと、重ねてお礼いたします。ありがとうございます」と伝えると、画面越しに父親はペコリと頭を下げた。
「それで、今回、お父さんがカウンセリングを受けていただけることになったわけですが、ご家庭の中でどういった話があって、今回の流れになったのか、教えていただけますでしょうか」
私は今回の申し込みに至った経緯から質問した。
「その辺、妻から聞いてないですか」
父親の言葉の裏側に「そんなこと確認しておけよ」という攻撃的なニュアンスを感じるのは勘繰りすぎだろうか。
「あ、メールでお父さんがいらっしゃるという風に頂いただけですので経緯までは聞けてないんですよ」
すると父親は答えてくれる。
「娘からですね。娘がお父さんも一緒に来てって。僕としても仕事の都合がつけば拒否する理由もないですし、『いいよ』って返事をしたんです。そしたら、そちらから、一緒じゃなくて一人で来いって言われたって聞きましたが」
「なるほど、そういうことですね。色々奥さんや娘さんからお話を伺ってはおりますが、3人で話すと話が複雑になりそうでしたので、まずは一度、お父さんと1対1でお話できればと思い、私が提案させていただいたんです。素直に応じていただいてありがとうございます」
「いえ、それはいいんですが、どんなことをお話すればいいですか?」
この質問も流れを考えれば自然な質問だが、どこか言外に攻撃性を感じてしまう。このような一つ一つのやり取りに緊張を覚えるのは、私が今までカオリや母親に会ってきて、彼女らの側にに立っているからだということを自覚する。本来は中立でないといけないと頭では解っているのだが、これは私の体の反応だ。そして私は今、山野家の中に漂っている緊張感を体験している。
しかし、怯むわけにはいかない。
「これまでカオリちゃんが不登校になって、それをなんとかしたいというきっかけでこちらに来ていただいているわけですが、お父さんがそのことについてどんなお気持ちでいらっしゃるのか、率直なところをまずお聞かせいただけますか?」
私は緊張を気取られないように意識的に声のトーンを低くして聞いた。
「妻からどう聞いているか分からないですが、僕としては娘が不登校になっても、仕方ないと思ってます。妻があんなですから」
いきなり、カオリの不登校を母親のせいにしている風全開の話しぶりだ。

「さっき妻とカオリを1年カウンセリングに通わせたって仰ってましたが、僕としては娘の不登校もそうですけど、妻を見てほしいって思ってたんです。妻は外では仕事頑張ってますし、それなりに人当たりよく振舞っていますが、カオリに対して本当にキツイと言うか、責めるような言い方ばかりするんですよね。できているところは見ないで、できないところばっかり指摘するんです。小学校のとき、テストで一つでも間違いがあると、他は全部合ってても、それは全く褒めないで、間違いだけ指摘する。それで、何度も間違い直しをさせるんです。そんなに怒りながらやらせても、カオリが委縮しちゃうだけで、効果ないからやめろって何度も言いましたが、聞きません。スマホだって、小学校高学年のころには今時みんな使ってるじゃないですか。それなのに、妻はダメだって見せなかったんです。今時の子の話題って全部インスタとか、TikTokじゃないですか。それで、友達の輪に入れないと可愛そうだって僕が言うと、『依存症になったらどうするんだ』って言ってましたね」

確かに来談当初の母親を思い出すと、その光景が目に浮かぶ。
そして、母親の告白も同時に思い出す。「母は私を責める人でした」
人は自分が育てられたようにしか子どもを育てられないと言うことか。。。

父親の語りは続いた。
「それで友達と上手くいかなくなる方がよっぽど大変ですよね。そんなだから、僕も多少言い方がきつくなることもありました。そしたら妻は、『いつもあなたは私を責めてばかり」って言うんですよ。それって僕が悪いんですか?」
一旦は私に問いかけるも、私の返事を期待しているわけではない。
「そんなだから、家で妻とあまり会話ができないんですよ。僕が何か言うと、普通に話しかけても、もう怒ってることもあるし。僕も最低限、カオリにもう少し優しく声かけてやれとか、やりたいことやらせてやれとか伝えるんですが、そう言うとすぐに拗ねちゃうから、会話になりません。そりゃ、そんなだから子どもも不登校になりますよね」

父親の話を聞きながら、私の中では、以前、父親に対して気持ちを吐き出した時の母親の言葉が思い起こされる。
「文句ばっかり言うなら全部自分でやればいいでしょ!」
「こんなに頑張ってるのに・・・」
やはり両者から聞くと、印象が変わるものだ。

そんなことを思いつつ、「そうなんですね。伺っていると、お父さんもずっと苦労していらしたんですね」と声をかける。
「そうですね。妻には正直苦労しています」
全く否定しない辺り、相当にストレスを溜めているようだ。

私は話を掘り下げる。
「いつごろから奥さん、そうなんですか?」
少し考えるように間をおいてから父親は答えた。
「いつからだろう。娘が生まれる前まではそこまで感じてなかったです。いや、その前からそうだったのかな。でも、二人とも共働きでそれぞれの仕事の方を向いていたと言うか。もちろん夫婦なので、会話がなかったわけじゃないですが、目立たなかったんだと思います。でも、やっぱり娘が生まれてからですね。自分は産後うつだって言い出してあからさまに不安定になった気がします。もうどうしようもないと言うか。そして、ちょっとケンカになると『死にたい、死にたい』って言ってましたね」

前回の母親の告白を思い出す。
「カオリが生まれるくらいまで主人に隠れて切っていました。でも、カオリが生まれて、産後うつになって、一時期、本当に死ぬことばかり考えてたんです。そうなると切る気も起きなくなったと言うか。気づいたらしなくなっていました」
もしかして、リスカが母親の安全弁になっていた?そんな可能性も頭に浮かんだ。

しかし、そんな母親に対して、父親の語り口調からは辟易していた様子がありありと伝わってくる。
往々にして「死にたい」という、いわゆる希死念慮の訴えを繰り返すことは、周囲に怒りの反応を引き起こす。言われる側にしてみれば、どうしようもないことを延々と言われ続けるわけなので、どうしても「いい加減にしてくれ」という気持ちになり、怒りで返さざるを得なくなるのだ。

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