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こころ日誌#24

ピノ

9月に入っても、夏の暑さは少しもその猛威をやわらげる気はなさそうだ。新学期を迎える9月1日は防災の日である。1世紀前に起きた関東大震災の教訓を忘れず災害に備える日である。しかし、学校関係者にとっては他の理由で恐怖を駆り立てられる日でもある。中高生の自殺が一番増えるのが長期休みが明けたこの9月1日なのだ。私もスクールカウンセラーをしていたころから、毎年この日を戦々恐々として迎えていた。それはスクールカウンセラーを辞めて相談室を独立開業した今も変わらない。私の相談室に通ってくるクライアントにも中高生はいる。そしてその中には「死にたい」と訴える子も。そのことを思うとやはり心配は尽きない。そんな中高生の一人が山野カオリである。

20〷+1年9月12日 カオリ#18 母親#11 母子合同面接
突き刺すような陽射しから相談室に逃げ込むように入ってきたカオリとその母親を迎え入れると、私はいつも通り茶菓子を出して迎える。新学期に入り、カオリは久しぶりのセーラー服を着ての来談、母親は薄手のブラウスにスカートといういで立ちだ。母親は額に浮かべた汗をハンカチで拭っている。この日はたまたま冷蔵庫にピノが入っていたので、「いつもクッキーをお出ししていますが、今日はピノがありますけど、いかがですか?」と問いかけた。母親は「お構い頂かなくて結構ですよ」と言うが、私は「この暑さです。冷えた甘いものは美味しいですよ」と言って、ピノを一つずつ皿の上に爪楊枝を添えて置き、盆に乗せる。更にグラスに氷を入れて、ウーロン茶と一緒に二人の前に差し出した。
「どうぞ」と笑顔で言うと「ありがとうございます」と母親。
ここで少々びっくりなことが起きた。
カオリがピノに爪楊枝を刺したかと思うと、マスクを下げて、口の中に入れたのだ。
正直何も考えていなかった。これまでもずっとカオリに茶菓子を出してきたが手が付けられたことはない。いつも残して帰り、その後クッキーは私の腹の中に納まるのがある意味お決まりとなっていた。今回出したのがアイスクリームという、すぐに食べないと溶けてしまうものだからなのか、暑かったからなのかは分からない。しかしカオリは確かにマスクを下げて、食べた。このとき、私は初めてマスクを下げたカオリの顔を見たのだ。母親によく似ているという印象を持ったのも束の間、一瞬でまたマスクをしてしまう。しかし、私の前で自然とマスクを下げて顔を見せてくれたのが嬉しくて、私は笑顔を作り「おいしい?」と問いかける。するとカオリは照れ臭そうに母親の方に頭をもたれさせた。
私の目にはその仕草がとても微笑ましく映る。「あ、お母さんもどうぞ」と勧めると「じゃ、失礼します」と言って母親もピノに手を伸ばした。

私も椅子に座り「改めましてよろしくお願いします」と挨拶をする。母親は「よろしくお願いします」と返事をし、カオリはわずかにペコリと頭を下げる。
私から話を振る。
「新学期が始まりましたね」
それに対し、「始まりましたよ。どうかなって思ってたんですが、やっぱり行けたり行けなかったりですね」と、カオリではなく、母親が答える。
私は「まぁ、相変わらずだなぁ」と思いつつ聞いていく。
母親は、「行くときは自分で用意して出ていくし、行けないときは朝ずっとトイレに籠ってるしで。私も仕事もあるし、本人に任せちゃってます。行けないときは相変わらず絵を描いてるよね」と、近況報告のように伝えてくれる。
学校に行けないことに関して、母親から以前のような重い雰囲気を感じない。
母親からの圧が以前より格段に減っていることを嬉しく思いつつ、私は顔の表情を改め、気になっていたことについて話を振った。
「ところで、前回、カオリちゃん、一人で来てくれて、いろいろお話してくれましたが、その後、何か親子で話したりしました?」
「実は、この子から聞きました。リストカットしてしまうって」
カオリが顔を見せてくれたことに続いて、ここでもびっくりさせられた。前回あんなに母親に知られるのを恐れていたのを思い出すからだ。
「え~!カオリちゃん、自分でお母さんに話したの?」
カオリは頷いた。
「勇気いったでしょう?どういう状況で話したの?」
カオリがモジモジとしているのを見て、やはりここでも母親が代わりに答えた。
「夏休みの最後の日、明日から制服嫌だなって言うんです。それで理由を聞くと、半袖だからって。そんな話の流れで、『切っちゃうから』ってこの子から話してくれました」
「そうだったんだね。そのことを聞いて、お母さん、びっくりしました?」
カオリの前で母親に気持ちを聞くのも気が引ける部分もあったが、今日の母子の様子から見るに、そこまで否定的な答えは返ってこないだろうという予測のもとの質問であった。しかし、母親の答えは私の予測の範疇を超えていた。
「いえ、ちょっとそうかなっていうのは思っていましたので、話してくれて良かったって思いました。それに・・・」
少し言いよどんでから母親は続ける。
「実は、私も昔そういうことしてた時期があったんです。ずっと忘れていました。でも、以前にお見せしたこの子の描いた絵を見たとき、そのことも前回ここで話したんですよね。あの絵を見たとき、なんか全部思い出したんです。・・・そういえば私、若いころリスカしてたなって」
急に予想外の告白をされて、私も驚いたが、カオリも隣で驚いた表情を浮かべている。母親もこの告白は勇気が要るだろう。間を取りつつ、言葉を選んでいるようだ。

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