こころ日誌#16
カウンセラーの憂鬱
ここ一週間くらいで一気に気温が上がり始めた。
「もう今シーズンの出番は終わりだな」
冬の間相談室を温めてくれた薪ストーブの出番が終わったことを感じ、私はしみじみとした気持ちになる。
新年度を迎え、社会が新しい動きを始めていることを様々なところで感じる。4月は芽吹きの季節だ。冬の間地面の下で身を潜めていた植物が一気に地上に咲き乱れる。その様子にエネルギーを感じるのは、地球上の生物としての本能かもしれない。私は普段あまりテレビを見ることがないのだが、その日、たまたまテレビをつけると、知らないニュースキャスターが、全国各地で入学式が行われたというニュースを伝えていた。私が子どものころは入学式と言えば桜舞い散る景色を思い浮かべたものだが、最近は4月を迎えるころには、葉桜になっていることも珍しくない。温暖化の影響を実感する。
学校関連のニュースを見て、私はふとを思い出した。
「ちゃんと行けたんだろうか。。。」
「4月から学校に行きます」
3月31日の面接のとき、カオリは相変わらず小さいながらも自分の声でそう言っていた。ほとんどの不登校の子どもたちは本来学校に行きたい。行けるようになりたい。そんな気持ちを一番振り絞りやすいのが新年度だ。新しいクラスになり、心機一転やり直したい。そう決意して学校に行こうとする。カオリも例外ではない。その決意を私に伝えてくれたのだ。
もちろんその決意をくじく理由はない。応援したい気持ちでいっぱいだ。
しかし一方で、私は現実は厳しいということも知っている。気持ちがいくら行こうとしていても、体が断固拒否をするというのはよくあることだ。
カオリの心に刺さった刃物の傷を直接的に扱ったわけではない。もちろん母親の傷を癒すことで、子どもが母親に甘えられるようになり、直接的にトラウマケアしなくても立ち直るケースはある。
その意味では、母親の協力を得て、自己治癒力も高まってきていることは期待できる。
とは言うものの、元気いっぱい学校で過ごせるまでに回復しているとは思えないというのが私の見立てだ。
回復には時間がかかる。無理はさせたくない。
4月に入りこれまで火曜日の13時に毎回予約していた山野家のカウンセリングを木曜日の17時に変更した。
時間の変更はカオリが登校している時間を避けるためだ。曜日の変更は17時の相談枠を安定して取れるのは木曜日という私のケースの都合だ。母親も木曜日に休めるようにシフトを調整してくれた。
4月の初回は10日だった。カオリは学校の制服に身を包んで来談した。今時近隣の学校ではブレザーが多くなっているが、カオリの学校はまだセーラー服らしい。まだ数日ではあるが、確かにそれまでに比べて声にも張りが出てきており、相変わらずマスクをしているものの、表情も豊かに感じた。新しいクラスで小学校の頃に仲の良かった子と一緒になれたこと、担任の先生が優しそうな女性だったことなど話してくれた。
次の24日には修学旅行の班決めがあり、ちゃんと班に入れたことを報告してくれる。声も明るく、来談当初では想像もつかないほど話してくれるようになった。よほど学校でちゃんとやれている自分が嬉しいようだ。語る時間が増えており、それと反比例して自律神経系のトレーニングの時間が少なくなる。特にこの回はリゾネイティングもなく終了し、母親は隣に座ってカオリの話を一緒に聞いてはいるが、特に参加してもらうこともなく終わった。
記録を書きながら、私は考える。同席している母親はこの時間をどう体験したのだろうか。この感じなら自分はもう同席しなくてもいいと思ったかもしれないし、もっと言えば、もう不登校は克服されており、来談当初の主訴は解消されている。カウンセリングに来るのもそろそろ卒業してもいいのではと感じているのかもしれない。
しかし気になるところもある。面接中にお腹が緩くなると言ってカオリがトイレに立った場面が見られた。やはりストレスはかかっているのだろう。
私はコーヒーを飲みながら、記録を書き終わったパソコンの画面を見つめている。いや、見つめているというよりも、記録を書いたまま惰性でそこに座っていると言った方が正確だ。頭の中では昔話を思い出していた。
「ケースによっては、一生支えていく覚悟で付き合っていかなくちゃいけないと思うんです」私の友人が熱弁している。
それに対して別の友人が、こちらも力を込めて言った。
「それって相手を自分に依存させてるだけじゃないですか?カウンセリングって、クライアントが自立できるよう、ちゃんとゴールを設定すべきだと思います」
学生時代、ケース会議では皆が教員の前で、気の利いた発言をしたがった。しかし、この時、二人の熱い議論に私は口をはさむことができず、ただ聞いているしかできなかった。もう20年以上前の話だ。
私はそれから様々なケースを受け持ち、中断も終結もたくさん経験した。しかし、まだそのときの議論の答えに行きついていない。更に言うなら、当時よりもさらに分からなくなっている。
カウンセリングとはある種終わりのない作業だ。クライアントの心理的な苦痛が軽減されるように援助するのが我々臨床心理士の仕事だ。しかし、どのくらい苦痛が癒されたらゴールとするのかという点において、共通認識を持つのは難しい。
私は自問する。
「苦痛が癒されて、クライアントが我々のところに来なくても生きていけるようになったら?」
では、自立とは何だろうか。人は何かにすがって生きていく生き物だ。生きている限り苦痛は消えはしないし、誰も完全な自立などできはしない。カウンセラーに頼る代わりに、別の物に頼るようになったら終わるのだとすると、最初からその別の物でいいのではないか。しかしその依存先が薬物だったとしたら?モラハラをしてくるパートナーに頼るようになったとしたら?
結局のところ答えなどありはしない。クライアントがカウンセリングに来るのはもう止めようと思ったとき。それがカウンセリングの終結なのかもしれない。カウンセラーの側がまだ問題は解消していないと思っていたとしても。
「もう今シーズンの出番は終わりだな」
冬の間相談室を温めてくれた薪ストーブの出番が終わったことを感じ、私はしみじみとした気持ちになる。
新年度を迎え、社会が新しい動きを始めていることを様々なところで感じる。4月は芽吹きの季節だ。冬の間地面の下で身を潜めていた植物が一気に地上に咲き乱れる。その様子にエネルギーを感じるのは、地球上の生物としての本能かもしれない。私は普段あまりテレビを見ることがないのだが、その日、たまたまテレビをつけると、知らないニュースキャスターが、全国各地で入学式が行われたというニュースを伝えていた。私が子どものころは入学式と言えば桜舞い散る景色を思い浮かべたものだが、最近は4月を迎えるころには、葉桜になっていることも珍しくない。温暖化の影響を実感する。
学校関連のニュースを見て、私はふとを思い出した。
「ちゃんと行けたんだろうか。。。」
「4月から学校に行きます」
3月31日の面接のとき、カオリは相変わらず小さいながらも自分の声でそう言っていた。ほとんどの不登校の子どもたちは本来学校に行きたい。行けるようになりたい。そんな気持ちを一番振り絞りやすいのが新年度だ。新しいクラスになり、心機一転やり直したい。そう決意して学校に行こうとする。カオリも例外ではない。その決意を私に伝えてくれたのだ。
もちろんその決意をくじく理由はない。応援したい気持ちでいっぱいだ。
しかし一方で、私は現実は厳しいということも知っている。気持ちがいくら行こうとしていても、体が断固拒否をするというのはよくあることだ。
カオリの心に刺さった刃物の傷を直接的に扱ったわけではない。もちろん母親の傷を癒すことで、子どもが母親に甘えられるようになり、直接的にトラウマケアしなくても立ち直るケースはある。
その意味では、母親の協力を得て、自己治癒力も高まってきていることは期待できる。
とは言うものの、元気いっぱい学校で過ごせるまでに回復しているとは思えないというのが私の見立てだ。
回復には時間がかかる。無理はさせたくない。
4月に入りこれまで火曜日の13時に毎回予約していた山野家のカウンセリングを木曜日の17時に変更した。
時間の変更はカオリが登校している時間を避けるためだ。曜日の変更は17時の相談枠を安定して取れるのは木曜日という私のケースの都合だ。母親も木曜日に休めるようにシフトを調整してくれた。
4月の初回は10日だった。カオリは学校の制服に身を包んで来談した。今時近隣の学校ではブレザーが多くなっているが、カオリの学校はまだセーラー服らしい。まだ数日ではあるが、確かにそれまでに比べて声にも張りが出てきており、相変わらずマスクをしているものの、表情も豊かに感じた。新しいクラスで小学校の頃に仲の良かった子と一緒になれたこと、担任の先生が優しそうな女性だったことなど話してくれた。
次の24日には修学旅行の班決めがあり、ちゃんと班に入れたことを報告してくれる。声も明るく、来談当初では想像もつかないほど話してくれるようになった。よほど学校でちゃんとやれている自分が嬉しいようだ。語る時間が増えており、それと反比例して自律神経系のトレーニングの時間が少なくなる。特にこの回はリゾネイティングもなく終了し、母親は隣に座ってカオリの話を一緒に聞いてはいるが、特に参加してもらうこともなく終わった。
記録を書きながら、私は考える。同席している母親はこの時間をどう体験したのだろうか。この感じなら自分はもう同席しなくてもいいと思ったかもしれないし、もっと言えば、もう不登校は克服されており、来談当初の主訴は解消されている。カウンセリングに来るのもそろそろ卒業してもいいのではと感じているのかもしれない。
しかし気になるところもある。面接中にお腹が緩くなると言ってカオリがトイレに立った場面が見られた。やはりストレスはかかっているのだろう。
私はコーヒーを飲みながら、記録を書き終わったパソコンの画面を見つめている。いや、見つめているというよりも、記録を書いたまま惰性でそこに座っていると言った方が正確だ。頭の中では昔話を思い出していた。
「ケースによっては、一生支えていく覚悟で付き合っていかなくちゃいけないと思うんです」私の友人が熱弁している。
それに対して別の友人が、こちらも力を込めて言った。
「それって相手を自分に依存させてるだけじゃないですか?カウンセリングって、クライアントが自立できるよう、ちゃんとゴールを設定すべきだと思います」
学生時代、ケース会議では皆が教員の前で、気の利いた発言をしたがった。しかし、この時、二人の熱い議論に私は口をはさむことができず、ただ聞いているしかできなかった。もう20年以上前の話だ。
私はそれから様々なケースを受け持ち、中断も終結もたくさん経験した。しかし、まだそのときの議論の答えに行きついていない。更に言うなら、当時よりもさらに分からなくなっている。
カウンセリングとはある種終わりのない作業だ。クライアントの心理的な苦痛が軽減されるように援助するのが我々臨床心理士の仕事だ。しかし、どのくらい苦痛が癒されたらゴールとするのかという点において、共通認識を持つのは難しい。
私は自問する。
「苦痛が癒されて、クライアントが我々のところに来なくても生きていけるようになったら?」
では、自立とは何だろうか。人は何かにすがって生きていく生き物だ。生きている限り苦痛は消えはしないし、誰も完全な自立などできはしない。カウンセラーに頼る代わりに、別の物に頼るようになったら終わるのだとすると、最初からその別の物でいいのではないか。しかしその依存先が薬物だったとしたら?モラハラをしてくるパートナーに頼るようになったとしたら?
結局のところ答えなどありはしない。クライアントがカウンセリングに来るのはもう止めようと思ったとき。それがカウンセリングの終結なのかもしれない。カウンセラーの側がまだ問題は解消していないと思っていたとしても。