BLOG ブログ

こころ日誌#13

甘え

写真だ。
一枚の絵が写真に収められている。
案山子?違う。女の子だ。女の子の絵が描かれている。
体は十字架と言うか、案山子のように手を開いている。無機質な身体の上で顔はこちらを見て笑っている。いや、笑っているように見えると言った方が正確かもしれない。目は無表情か、むしろこちらを睨みつけているようにさえ見える。ただ、口角が上がっているため全体の表情としては笑っているように見えるのだ。そして何よりも私の目を引き付けたのは、女の子の体中に刺さっている包丁、ナイフ、槍、剣。。。凡そ思いつく、殺傷能力のありそうな刃物たちである。それらが案山子のように立つ女の子の体に突き立てられているのだ。そして全体は白い紙に鉛筆で描かれいているだろうモノトーンなのに、傷口から流れ出る血だけが丁寧に赤黒く塗られているため、一層見る者の目を惹きつける。
「これは・・・確かに怖いですね」
「そうなんです。怖くて。。。私、この絵を見たとき、すごく動揺しちゃって。なんか胸が苦しくなりました。普段はアニメのキャラクターの絵ばっかり描いてるんです。でも、先々週くらいですか。カオリの部屋に入ったときに、偶然机の上にこれが置いてあって。思わず写メしちゃいました。いつ描いた物かは分かりません。でも、机の上に置いてあるってことは、私に見られたかったのかもしれないと思って」
母親はこの絵が何を伝えたいのかを心理の専門家である私に聞きたいというわけだ。
しかし、私はまず母親に聞く。
「そうかもしれないですね。お母さんとしては、この絵、どんな風に見られましたか?」
母親はハスキーな声のトーンを一段落として答える。
「カオリの心が・・・こんなに傷ついているっていうこと?」
「そうですね。そういうカオリちゃんの叫びが聞こえてきそうですね」誰もがそう感じるだろう。私も同じように思った。そして更につけ足す。「そして体が無機質というか、人形みたいに見えます。カオリちゃんの体はもう痛みを感じていないのかもしれません。それと、この表情です。私にはカオリちゃんの敵意と、相手に迎合するしかない悔しさが滲み出ているように見えます」
「敵意と・・・迎合・・・悔しさ・・・」
母親は私が挙げたカオリの感情と目される言葉を復唱する。
私は続けた。
「人間は極度のストレス下では、そのストレス原因に対して合理的な対応ができなくなります。そのときに取れる反応は多くはありません。特に4種類と言われています。一つには戦う。一つには逃げる。その両方ができないような場合、相手に媚びへつらって迎合するか、凍り付いて動けなくなるかです。この表情からは、戦うことも逃げることもできなくて、迎合しちゃったのかなと想像しました」
「そんなもんなんですね。言われてみると、確かにそういう風に見えます」
どこまで納得してくれているかは分からない。私はカオリがどれだけ追い詰められているかということを伝えたくて続けた。
「こんなに傷ついていたら・・・死んじゃいますよね。そうじゃなくても、病院のベッドで絶対安静にしてないといけないですよね」
母親は神妙な顔つきで言う。
「学校なんて行けるわけない・・・ってことですか」
「その通りです。カオリちゃんに必要なのは、この体中に刺さった刃を抜いてあげて、ちゃんと手当してあげることじゃないですか」
ここは勝負所だ。私は自分の言葉に少なからず攻撃性が散りばめられてしまっているのを自覚していた。「こんな状態で学校に行かせようとするあなたは間違っている」というメッセージが非言語に含まれいてるのだ。カウンセラーは通常クライアントを責めない。仮に母親が私の攻撃を受けて防御姿勢や反抗姿勢を取ってしまうとカウンセリングは停滞してしまうからだ。そのためここは無血開城、つまり圧倒的な説得力で母親を納得へと導かないといけないのだ。
その私の攻めの姿勢に対して母親は防御にも反抗にも出られるような言葉を選ぶ。
「それは・・・どうやって?」
母親の声には疑念が含まれている。彼女の目がわずかに泳ぎ、視線が私から離れる。
ここで、しっかりと私は私と両親のすべきことを伝えて、納得を引き出す必要がある。
「ひとつには私がここでカオリちゃんのトラウマケアをします。でも、その過程でお父さん、お母さんにも協力をお願いする必要があります」
私は穏やかに、しかし断固とした口調で説明を続けた。
まだ母親は防御姿勢を崩さないで反応する。
「なんでしょう」
母親の声は少し震えているが、彼女は私の目を真っ直ぐに見つめる。
「お父さんとお母さん、二人で力と心を合わせて、カオリちゃんを甘やかしてあげることです。思いっきり」
母親は絶句し、しばらくの間、言葉を失っていた。彼女の目が一瞬、私から離れ、床を見つめる。

「実は・・・最近、カオリが妙に甘えてくるんです」と母親は小さな声で言った。彼女の手が膝の上でぎゅっと握りしめられているのが見えた。

「どんな風に?」私は優しく促した。

「お風呂に一緒に入りたがったり、夜布団に一緒に入ってきて寝たがったり。私が料理してたりするとキッチンに来て、ベタベタくっついてきたり」そう話す彼女の声には戸惑いが混じっている。

「甘えたいんですね」と私は少し微笑みながら言った。

「私、なんか拒むまではいかないんですが、どうしても素直に甘えさせられなくて、逃げると言うか距離取っちゃうんです」と母親は視線をそらし、手をもじもじと動かした。

父親と力を合わせる以前のところに課題がありそうだ。私はカウンセラーとして母親のつまずきを解消し、彼女がカオリを受け入れられるように導く必要がある。

「実は不登校の子が赤ちゃん返りすることは珍しいことではありません。カオリちゃんに限らず、みんな傷ついているんです。そして、子どもは傷を癒してくれることを本能的に母親に求めます。だから甘えてくるんです。お母さんに甘えることで、カオリちゃんは自分の傷を癒そうとしてるんですよ」
私はカオリと2回目に会ったとき、セッションの中でほぐれてきたカオリの表情が母親が迎えに来た瞬間、また無表情に変わったのを思い出した。あの時、カオリは母親の圧を感じていたのは想像に難くない。それでも、やはり母親を求めてしまうという複雑な心理に思いを馳せた。

母親は視線を床に落とし、深く考え込むように眉をひそめた。

「なんでしょう。私も甘えさせてあげた方がいいのかなとは思うんですが、もう中学生ですよ。そんなにくっつかなくても、別の甘え方があるように思います」

母親の声には戸惑いが混じっていた。彼女の手が膝の上で落ち着かないように動き続けている。

「例えばどんな?」

私は優しく促した。母親は少しの沈黙の後、ひねり出すように言葉を発する。

「なんでしょう。一緒にご飯食べるとか、ゲームするとか・・・買い物に行くとか?」

彼女の声は学生が先生に正解を求めるときの声だ。「この中に正解はありますか?」と。
しかし私は母親の中に正解を求めた。

「ご自身が、子どものころ、そうやって甘えてた?」

私の問いかけに、母親はしばらく目を閉じた。過去の記憶を思い起こすように深呼吸をする。

「あんまり親に甘えた記憶がありません」

彼女の声は低く、表情もどこか困惑しているように感じた。自分が甘えた記憶がないということにそれまで気づいていなかったのかもしれない。

「だからどうしていいか分からなくて、カオリちゃんが甘えてくると避けちゃうんですね。今想像してみましょう。カオリちゃんがお母さんの寝てるところに入ってきて、一緒に寝てと言って抱き着いてきます。どんな気持ちがしますか?」

「ん~、バツが悪いと言うか、逃げ出したくなります」

この逃げ出したいという気持ちこそが母親が克服しないといけない負の気持ちだ。このケースの根幹の課題と言ってもいいかもしれない。
私はここで、一歩踏み込む。

「それは、カオリちゃんが小さな赤ちゃんだったとしても?」

母親の目が一瞬大きく見開かれる。その後、深い息をついて視線を下げた。

「赤ちゃん・・・怖かったんです」母親の声は震えている。「私、カオリが赤ちゃんのころから怖かったんです。いつも泣いて、泣いている声が私を責めているみたいで。カオリが泣くたびに本当気が狂いそうになって。主人に助けを求めても、私が悪いって言われて。それはそうですよね。どう考えても私が悪いですよね」
言い終わるころには、母親の目からこぼれた涙がマスクを濡らしていた。

怖いから、逃げ出したくなったのだ。

私は普段よりも声のトーンを下げて、ゆっくりと言葉に力を込めていった。
「お母さん。あなたは悪くありません。お母さんを責め立てた人がいるはずです。お前に子育てなんてできるわけないって。あなたを責めて、あなたを恐怖心でしばりつけた人がいるはずです」

母親は目を見開いた。その視線が空中の一点で固定されたように固まる。そして絞り出すように言う。
「それは・・・私の母です」

#14へ