こころ日誌#11
吐き出された思い
私は続けた。
「山野さん、とっても頑張っていい母であり、いい妻であろうとしていらしたんだと思います。今まで、本当お辛かったでしょう?」
これまで「お母さん」と呼んでいたのはあくまでも、私の中でカオリの母親という位置づけだったからだ。しかし今日、このセッションでは母親の抱えている傷をターゲットにしようと決めた。そういうとき、私は名前で呼ぶ。そして相手が未成年くらいの年齢までは下の名前で呼ぶが、成人しているクライアントに対しては苗字に「さん」をつけて呼ぶことが多い。
「そんな。結構適当ですよ」
母親は、私が呼び方を変えたことに対しては反応せず、私の労いの言葉に対して、謙遜して答えた。
私は父親に詰問される度に何も言えなくなって、その場から逃げ出すことで、自分を守っている母親の悔しさに思いを馳せる。
「そうですか」と私は続ける。「今、旦那さんとバトルになるとどうなるかお話いただいたとき、多分特定の場面が山野さんの頭に浮かんでたんじゃないかと思うんです。無視しちゃう気持ちになったときの旦那さんの表情。ちょっともう一回思い出してもらうことできますか?」
母親は戸惑った表情をする。
「思い出せますか?」
私はできるだけ攻撃的に受け取られないような口調や表情で、記憶の想起を促す。
「はい」
それでも、やはり母親の被虐のスイッチが入ってしまうのだろう。やや身構えているのが声のトーンから伝わってくる。
「旦那さんの表情・・・思い浮かべながら、深呼吸しましょう。ゆっくり吸って・・・ゆっくり吐いて・・・」いつもの10秒呼吸だ。
母親の胸が、私の教示に従って上下するのを確認する。
「その呼吸を続けながら・・・いいですね。今どんな感じがしますか?」
「気持ちよくはないです」
平坦な口調が母親の警戒を私に伝えている。。
「ありがとうございます。頑張ってくれていますね。私が山野さんについていますよ」私もHRV呼吸をしながら母親に伴走していることを伝える。「ちょっとその気持ちよくない感じに浸ってください。もし可能であれば、目を閉じていただいて、その場面をよく思い出してみてください」
そう伝えると、母親は一瞬戸惑ったような表情を見せるも、やがて、目を閉じた。そこにはある種の観念の気持ちがあったかもしれない。
私はその勇気をたたえる意味を込めて「ありがとうございます」と伝え、続けて、「目を閉じると・・・旦那さんの表情・・・山野さんを責めている感じですか?」と聞く。
「そう」
「大丈夫。私が今山野さんについています。私は山野さんをサポートするためにここにいます。その表情で責められると・・・どんな気持ちになりますか?」
「ん~、相手にしない方が良いかなって思います」
「なるほど。だから山野さんは、旦那さんを無視しちゃうんですね」
「はい」
「無視は山野さんが旦那さんの攻撃から身を守るための手段なんですね。夫婦関係の中で、そうやって責められてきた時に山野さんがご自身を守ってこられた。それはとっても尊いことだと思います」更に続ける。「今、旦那さんを無視しているときのご自身を思い返してみてください。どんな気持ちになりますか」
私の問いに対して少し間をおいてから「やるせない気持ち」と答える。
「やるせない気持ちになるんですね。そのやるせないなぁっていう気持ちを感じるとき、体はどんな感じがしますか?お腹がキリキリするとか、胸がキューっと締め付けられる感じとか」
人間の感情には、必ず体の反応を伴う。ネガティブな気持ちを癒していくためには、その感情を感じている体の感覚を特定することはとても大切な作業だ。
「胸がズーンと重い感じがします」
「とても上手に体の感じを特定してくれました。ありがとうございます。そのズーンと重い感じ。今、私と一緒に味わってみましょう。どんな感覚なのか、私にできるだけ分かるように教えてください。私もお母さんの気持ちを一緒に感じたいんです」
「本当、ズーンって錘が乗っている感じがします」
「そうなんですね。山野さんを責めている旦那さんの表情が、山野さんに重くのしかかっているんですね。とっても重いですよね。大丈夫です。ゆったりと呼吸をして。よく感じていきましょう。私は山野さんと共にいます」
母親の表情に力が入り、苦しそうなのが伝わってくる。
「大丈夫です。今から胸の重い感じを軽くしていきますからね。この場では山野さんは完全に安全だし、山野さんが安全でいられるように、私がサポートしていきます」
依然として眉をしかめるような表情で私の語り掛けを聞いている。
「旦那さんが山野さんを責めてくる表情に対して感じるやるせない気持ち、今まで蓋をして、無視してきましたよね。もし仮にですが、言い返せるとしたら・・・なんて言いたいですか?」
予想していなかった質問なのだろう。眉をしかめたまま、しばらく間を置く。
「えぇ、なんだろう」
と考えた後に言う。
「そんな風に見るのはやめて」
平坦な口調で答えてくれる。
私はうなずきながら促す。
「うんうん。責めるような目で見るのをやめてほしいんですね。他にはなんて言いたいですか?」
母親は一呼吸おいてから答えた。
「なんで私ばかりが悪いことになってるの?」
少しずつ心の中に閉じ込めた箱の蓋が開き始めているのを感じる。
「うんうん。山野さんばっかりが悪者にされてきたんですね。他には?」
「あなたはいつも私を責めるけど、そんなに私はダメなの?」
目を閉じてはいるが、急に母親の声は震え出す。私は母親の言葉を優しい口調でトレースする。
「いつも責められてきた。他には?」
これまで平坦な口調だったのは、感情があふれ出さないように努めて平生を装っていたのが解る。そして、それがついに決壊した。
「好き勝手なことばっかり言って、必要な時には自分は何もしないくせに、調子いい時だけ出てきて、良い人面するのはやめてほしい。私ばかりに嫌な役押し付けて、それで私を責めるの?一度だって私を認めてくれたことなんかなかったじゃない。こんなに頑張ってるのに。文句ばっかり言うなら全部自分でやればいいでしょ」
もう私から促さなくても、今まで抑えてきた母親の不満があふれ出した。それは涙とともに排出される。
一呼吸おいてから、「こんなに頑張ってるのに・・・」再び繰り返される言葉は嗚咽を伴っていた。
「本当に勇気をもって気持ちを表現してくれました。山野さんの今まで抱えていらっしゃった辛い気持ち・・・よく伝わってきましたよ。私はその山野さんの勇気に心よりの敬意をお伝えしたいと思います」そう伝えて、テーブルの上にあるティッシュを2~3枚取って手渡す。
「すみません」とティッシュを受け取って涙をぬぐう母親に、「山野さん、旦那さんに認めてもらいたいんですね」と伝える。
更に自身を落ち着かせるためか、それまで手を付けていなかったもうぬるくなっているだろうお茶に手を伸ばす。
一口つけると、フ―ッと大きめの意識を吐き、
「結局そうなんですね。人って誰かに認めてもらわないとダメなんだってことですよね」としみじみ言う。
「今日そのお気持ちをちゃんと言葉にしてくれました」
「そうですね。だからと言って何か変わるわけじゃないですけど、なんかちょっと溜飲が下がった気がします」
「これをずっと溜め続けたらしんどいですよ。感情を抑圧するのって、人間、思う以上にエネルギーを使うんですね。溢れ出ようとするのを一生懸命抑えるわけですから。そちらにエネルギーをもって行かれちゃうと、余裕がなくなってしまいます。カオリちゃんとの関りにも影響を及ぼしてしまう可能性は高いです」そう説明した後に、私は提案した。「どうでしょうか。今後も定期的にお母さんともお会いして行けるといいと思うのですが」
カオリとの面接を意識して、お母さんと呼び方を再び元に戻す。
「そうですね。来たい気持ちはあるんですが、カオリを隔週で連れてきてますので、これ以上ってなると、ちょっとお金的に・・・」
現実的な壁が立ちはだかる。
私も経営者であり、サービスを継続させていかなければならない以上、代金はいただかないわけにはいかない。
「そうですよね。カオリちゃん隔週での面接はできるだけ続けたいですね。今日お母さんが頑張ってくれたみたいに、カオリちゃんもとっても頑張ってくれています。でも、例えば今日みたいにカオリちゃんが来れない日とかにお母さんにお越しいただくのはありです。そうでなくても、二日前までなら予約取れますから、お母さんが今日みたいに話したいって思ってくれた時に不定期にご予約いただくというのはどうでしょうか。後は、カオリちゃんの許可が取れればですが、お二人で一緒に来ていただいて、30分ずつ順番にお話伺うとか、同席いただくとか、できるだけご要望に応えたいと思います」
母親は少し考えているような素振りをする。
「わかりました。じゃ、取り敢えず、次回は二週間後にカオリを連れてきますね。それまでにどうするか考えさせてください」
私が了承すると、「こちら、いただいていいですか?」と手を付けなかったクッキーをカバンに入れて持ち帰った。
こうして母親との面談の一回目が終わった。
母親を送り出すと、再び薪ストーブに薪を足す。1時間で燃え尽きることはなかったが、下火になっており、この感じだと鎮火するのにさほど時間はかからない。火の力を取り戻すためには、細目の薪を数本足し、しっかりと火が回ってから太めの薪を足そうと算段する。その一方で、母親が飲み残してぬるくなっている湯呑を片付けてから、パソコンを起動させる。
パソコンが起動する間に自分用のインスタントコーヒーを準備しデスクに座り、終わったばかりの面接を振り返る。
今回、カオリが来れなかったことは、やはり抵抗とみていいだろう。事前にキャンセルの可能性も頭に置いていたとはいえ、それが現実になってしまうと、私の頭の中で無意識により深い反省の考察が始まる。前回、周囲が怖いと言ったときに、その気持ちをまずは扱うべきであった。その気持ちに焦点化して、グラウンディングしないといけなかったのだ。私はそれを飛ばして、両親に話を持って行ってしまったし、更には彼女にとっては最大級のトラウマが出てきてしまった。負担が大き過ぎたのだ。今後、カオリは私の前に姿を現してくれるのだろうかと心配になる。
だが、一方で、今回の母親面接はこのケースにとって有意義であった。夫婦の問題に直面化させ、母親も私の示唆に応えて、気持ちを話してくれた。
次回カオリが来れるかは今の時点では分からない。しかし母親への働きかけ次第で十分に援助が可能であるという手応えは感じた。
やがて起ち上がったパソコン上で「山野カオリ」のケースファイルを開くと、コーヒーをすすりながら記録を開始する。
アセスメント
・カオリの抵抗が見られる。来談が厳しい状態。
・母親の真の願い「認められたい」
方針
・枠の再設定。カオリとのカウンセリングから、母親を交えた家族療法へ切り替える。
家族療法とは家族を一つのシステムと見做し、何か問題が起きている場合、その個人の問題としてとらえるのではなく、システムのどこかに不具合が起きていて、それに影響を受けているという考え方である。カオリの不登校についても、これまでは自律神経系のトレーニングでカオリ個人のストレス耐性を上げていくことを主な目標にしていた。しかし、母親が来談してくれることで、家族内での関りをも介入の対象にしていける。
「家族療法・・・つまりは最初に立てた方針にようやく戻ってこれた」私は心の中で呟いた。
「山野さん、とっても頑張っていい母であり、いい妻であろうとしていらしたんだと思います。今まで、本当お辛かったでしょう?」
これまで「お母さん」と呼んでいたのはあくまでも、私の中でカオリの母親という位置づけだったからだ。しかし今日、このセッションでは母親の抱えている傷をターゲットにしようと決めた。そういうとき、私は名前で呼ぶ。そして相手が未成年くらいの年齢までは下の名前で呼ぶが、成人しているクライアントに対しては苗字に「さん」をつけて呼ぶことが多い。
「そんな。結構適当ですよ」
母親は、私が呼び方を変えたことに対しては反応せず、私の労いの言葉に対して、謙遜して答えた。
私は父親に詰問される度に何も言えなくなって、その場から逃げ出すことで、自分を守っている母親の悔しさに思いを馳せる。
「そうですか」と私は続ける。「今、旦那さんとバトルになるとどうなるかお話いただいたとき、多分特定の場面が山野さんの頭に浮かんでたんじゃないかと思うんです。無視しちゃう気持ちになったときの旦那さんの表情。ちょっともう一回思い出してもらうことできますか?」
母親は戸惑った表情をする。
「思い出せますか?」
私はできるだけ攻撃的に受け取られないような口調や表情で、記憶の想起を促す。
「はい」
それでも、やはり母親の被虐のスイッチが入ってしまうのだろう。やや身構えているのが声のトーンから伝わってくる。
「旦那さんの表情・・・思い浮かべながら、深呼吸しましょう。ゆっくり吸って・・・ゆっくり吐いて・・・」いつもの10秒呼吸だ。
母親の胸が、私の教示に従って上下するのを確認する。
「その呼吸を続けながら・・・いいですね。今どんな感じがしますか?」
「気持ちよくはないです」
平坦な口調が母親の警戒を私に伝えている。。
「ありがとうございます。頑張ってくれていますね。私が山野さんについていますよ」私もHRV呼吸をしながら母親に伴走していることを伝える。「ちょっとその気持ちよくない感じに浸ってください。もし可能であれば、目を閉じていただいて、その場面をよく思い出してみてください」
そう伝えると、母親は一瞬戸惑ったような表情を見せるも、やがて、目を閉じた。そこにはある種の観念の気持ちがあったかもしれない。
私はその勇気をたたえる意味を込めて「ありがとうございます」と伝え、続けて、「目を閉じると・・・旦那さんの表情・・・山野さんを責めている感じですか?」と聞く。
「そう」
「大丈夫。私が今山野さんについています。私は山野さんをサポートするためにここにいます。その表情で責められると・・・どんな気持ちになりますか?」
「ん~、相手にしない方が良いかなって思います」
「なるほど。だから山野さんは、旦那さんを無視しちゃうんですね」
「はい」
「無視は山野さんが旦那さんの攻撃から身を守るための手段なんですね。夫婦関係の中で、そうやって責められてきた時に山野さんがご自身を守ってこられた。それはとっても尊いことだと思います」更に続ける。「今、旦那さんを無視しているときのご自身を思い返してみてください。どんな気持ちになりますか」
私の問いに対して少し間をおいてから「やるせない気持ち」と答える。
「やるせない気持ちになるんですね。そのやるせないなぁっていう気持ちを感じるとき、体はどんな感じがしますか?お腹がキリキリするとか、胸がキューっと締め付けられる感じとか」
人間の感情には、必ず体の反応を伴う。ネガティブな気持ちを癒していくためには、その感情を感じている体の感覚を特定することはとても大切な作業だ。
「胸がズーンと重い感じがします」
「とても上手に体の感じを特定してくれました。ありがとうございます。そのズーンと重い感じ。今、私と一緒に味わってみましょう。どんな感覚なのか、私にできるだけ分かるように教えてください。私もお母さんの気持ちを一緒に感じたいんです」
「本当、ズーンって錘が乗っている感じがします」
「そうなんですね。山野さんを責めている旦那さんの表情が、山野さんに重くのしかかっているんですね。とっても重いですよね。大丈夫です。ゆったりと呼吸をして。よく感じていきましょう。私は山野さんと共にいます」
母親の表情に力が入り、苦しそうなのが伝わってくる。
「大丈夫です。今から胸の重い感じを軽くしていきますからね。この場では山野さんは完全に安全だし、山野さんが安全でいられるように、私がサポートしていきます」
依然として眉をしかめるような表情で私の語り掛けを聞いている。
「旦那さんが山野さんを責めてくる表情に対して感じるやるせない気持ち、今まで蓋をして、無視してきましたよね。もし仮にですが、言い返せるとしたら・・・なんて言いたいですか?」
予想していなかった質問なのだろう。眉をしかめたまま、しばらく間を置く。
「えぇ、なんだろう」
と考えた後に言う。
「そんな風に見るのはやめて」
平坦な口調で答えてくれる。
私はうなずきながら促す。
「うんうん。責めるような目で見るのをやめてほしいんですね。他にはなんて言いたいですか?」
母親は一呼吸おいてから答えた。
「なんで私ばかりが悪いことになってるの?」
少しずつ心の中に閉じ込めた箱の蓋が開き始めているのを感じる。
「うんうん。山野さんばっかりが悪者にされてきたんですね。他には?」
「あなたはいつも私を責めるけど、そんなに私はダメなの?」
目を閉じてはいるが、急に母親の声は震え出す。私は母親の言葉を優しい口調でトレースする。
「いつも責められてきた。他には?」
これまで平坦な口調だったのは、感情があふれ出さないように努めて平生を装っていたのが解る。そして、それがついに決壊した。
「好き勝手なことばっかり言って、必要な時には自分は何もしないくせに、調子いい時だけ出てきて、良い人面するのはやめてほしい。私ばかりに嫌な役押し付けて、それで私を責めるの?一度だって私を認めてくれたことなんかなかったじゃない。こんなに頑張ってるのに。文句ばっかり言うなら全部自分でやればいいでしょ」
もう私から促さなくても、今まで抑えてきた母親の不満があふれ出した。それは涙とともに排出される。
一呼吸おいてから、「こんなに頑張ってるのに・・・」再び繰り返される言葉は嗚咽を伴っていた。
「本当に勇気をもって気持ちを表現してくれました。山野さんの今まで抱えていらっしゃった辛い気持ち・・・よく伝わってきましたよ。私はその山野さんの勇気に心よりの敬意をお伝えしたいと思います」そう伝えて、テーブルの上にあるティッシュを2~3枚取って手渡す。
「すみません」とティッシュを受け取って涙をぬぐう母親に、「山野さん、旦那さんに認めてもらいたいんですね」と伝える。
更に自身を落ち着かせるためか、それまで手を付けていなかったもうぬるくなっているだろうお茶に手を伸ばす。
一口つけると、フ―ッと大きめの意識を吐き、
「結局そうなんですね。人って誰かに認めてもらわないとダメなんだってことですよね」としみじみ言う。
「今日そのお気持ちをちゃんと言葉にしてくれました」
「そうですね。だからと言って何か変わるわけじゃないですけど、なんかちょっと溜飲が下がった気がします」
「これをずっと溜め続けたらしんどいですよ。感情を抑圧するのって、人間、思う以上にエネルギーを使うんですね。溢れ出ようとするのを一生懸命抑えるわけですから。そちらにエネルギーをもって行かれちゃうと、余裕がなくなってしまいます。カオリちゃんとの関りにも影響を及ぼしてしまう可能性は高いです」そう説明した後に、私は提案した。「どうでしょうか。今後も定期的にお母さんともお会いして行けるといいと思うのですが」
カオリとの面接を意識して、お母さんと呼び方を再び元に戻す。
「そうですね。来たい気持ちはあるんですが、カオリを隔週で連れてきてますので、これ以上ってなると、ちょっとお金的に・・・」
現実的な壁が立ちはだかる。
私も経営者であり、サービスを継続させていかなければならない以上、代金はいただかないわけにはいかない。
「そうですよね。カオリちゃん隔週での面接はできるだけ続けたいですね。今日お母さんが頑張ってくれたみたいに、カオリちゃんもとっても頑張ってくれています。でも、例えば今日みたいにカオリちゃんが来れない日とかにお母さんにお越しいただくのはありです。そうでなくても、二日前までなら予約取れますから、お母さんが今日みたいに話したいって思ってくれた時に不定期にご予約いただくというのはどうでしょうか。後は、カオリちゃんの許可が取れればですが、お二人で一緒に来ていただいて、30分ずつ順番にお話伺うとか、同席いただくとか、できるだけご要望に応えたいと思います」
母親は少し考えているような素振りをする。
「わかりました。じゃ、取り敢えず、次回は二週間後にカオリを連れてきますね。それまでにどうするか考えさせてください」
私が了承すると、「こちら、いただいていいですか?」と手を付けなかったクッキーをカバンに入れて持ち帰った。
こうして母親との面談の一回目が終わった。
母親を送り出すと、再び薪ストーブに薪を足す。1時間で燃え尽きることはなかったが、下火になっており、この感じだと鎮火するのにさほど時間はかからない。火の力を取り戻すためには、細目の薪を数本足し、しっかりと火が回ってから太めの薪を足そうと算段する。その一方で、母親が飲み残してぬるくなっている湯呑を片付けてから、パソコンを起動させる。
パソコンが起動する間に自分用のインスタントコーヒーを準備しデスクに座り、終わったばかりの面接を振り返る。
今回、カオリが来れなかったことは、やはり抵抗とみていいだろう。事前にキャンセルの可能性も頭に置いていたとはいえ、それが現実になってしまうと、私の頭の中で無意識により深い反省の考察が始まる。前回、周囲が怖いと言ったときに、その気持ちをまずは扱うべきであった。その気持ちに焦点化して、グラウンディングしないといけなかったのだ。私はそれを飛ばして、両親に話を持って行ってしまったし、更には彼女にとっては最大級のトラウマが出てきてしまった。負担が大き過ぎたのだ。今後、カオリは私の前に姿を現してくれるのだろうかと心配になる。
だが、一方で、今回の母親面接はこのケースにとって有意義であった。夫婦の問題に直面化させ、母親も私の示唆に応えて、気持ちを話してくれた。
次回カオリが来れるかは今の時点では分からない。しかし母親への働きかけ次第で十分に援助が可能であるという手応えは感じた。
やがて起ち上がったパソコン上で「山野カオリ」のケースファイルを開くと、コーヒーをすすりながら記録を開始する。
アセスメント
・カオリの抵抗が見られる。来談が厳しい状態。
・母親の真の願い「認められたい」
方針
・枠の再設定。カオリとのカウンセリングから、母親を交えた家族療法へ切り替える。
家族療法とは家族を一つのシステムと見做し、何か問題が起きている場合、その個人の問題としてとらえるのではなく、システムのどこかに不具合が起きていて、それに影響を受けているという考え方である。カオリの不登校についても、これまでは自律神経系のトレーニングでカオリ個人のストレス耐性を上げていくことを主な目標にしていた。しかし、母親が来談してくれることで、家族内での関りをも介入の対象にしていける。
「家族療法・・・つまりは最初に立てた方針にようやく戻ってこれた」私は心の中で呟いた。