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こころ日誌#7

大雪の日に

20〷+1年1月20日 #6 通常面接 
姿を現したカオリは厚手のダウンジャケットを着て頬が赤らんでおり、その髪の毛には少し雪が乗っているのが見える。駐車場から玄関までの数秒の距離、傘を差さずにきて、インターホンを鳴らし、私の返事を待って入ってきてくれたのだろう。
私は心を込めて、「こんにちは。外、ホント寒いよね。よく来てくれたね」と挨拶をし、続けて「こっち来て温まりなよ」と薪ストーブの前にカオリを誘う。
2時間前に火を入れ始めたストーブは十分に熱を発しており、その上に置いてあるやかんのフタがカタカタと音を立てて震えているのが、中に入ったお湯が沸騰しているのを知らせてくれている。
カオリは着ていたジャケットを脱いで荷物入れに入れ、薪ストーブの前に足を進めた。
椅子を二つ持ってきて、薪ストーブを直角二等辺三角形の頂点と見立てたときに、底辺の両端になるような位置関係に置く。片方の椅子に座るようカオリに促し、私ももう片方の椅子に腰を下ろす。
普段、動きはどちらかと言うと緩慢で、こちらの促しに一呼吸おいてから反応することが多いカオリだが、この時はスムーズに私の勧めに応じ、椅子に座り、ストーブの方に手を差し出す。
「余程寒かったんだね」と心の中でつぶやきながらカオリの様子をしばらく見守る。メラメラと目の前で燃える炎を無表情に見つめているが、時折パキッと音を立てて木がはぜる音や、やかんの中でぐつぐつと煮えたぎるお湯の音、そして手を通して伝わっているであろう遠赤外線の熱がカオリの心と体を温めてくれることを期待しつつ、私自身はHRV呼吸を意識する。
「こういう時は動かない方が良い」というラピュタに出てくる台詞を思いつつ、私も炎のゆらめきに見入っていた。
二人の間にとても穏やかな時間が流れる。
そんな時間がどれだけ続いただろうか。不意にカオリが「ふー」っと大きめに息を吐いたのが分かった。そしてそれに合わせて、肩が下がった。
「来た」
私は思った。カオリの心に薪を投入するタイミングである。

「ね、カオリちゃん皆が怖いって言ってたけど、どんなところが怖いと思うんですか?」
私はいつもにも増して穏やかな口調を意識して聞いてみた。
急な私の質問に多少なりとも身構えるかと思ったが、カオリは一呼吸置いた後、まるで独り言のようにつぶやいた。
「・・・見られている気がする。後、裏で悪口言われてたり」

周りに見られていて、今にも襲って来ようと準備をしていると認知して恐怖を感じる状況を私はよく狼に囲まれた羊に例える。
羊は狼が自分より強く、自分を食い殺そうとしていることを知っている。
だから怖いのだ。
例えば、狼の真ん中にいるのが巨大な象だったとしたら、いくら狼と仲良くなれなかったとしても象は怖がる必要はない。
他に例えるなら、戦争で周囲を敵に囲まれ、食料も底をついて籠城するしかない兵士である。
敵はこちらが完全に飢えて弱るのを待っている。弱ってから一気に攻め込むつもりだ。
攻めてくるのは今日か?明日か?
この緊張感が怖いのである。もし兵糧が潤沢にあり、城内で自給自足できれば、怖がる必要はないのだ。
カオリの心的なエネルギーがしぼんでしまっていて、自家発電できないことがこのような認知を創り上げるのである。

「そっかぁ。周りがカオリちゃんを見て、悪口言ってそうに思うんだね。それは怖くなっちゃうの、仕方ないよね」

カオリの心に兵糧を自給自足させる方法。
それはやさしい両親がカオリの心の中に住み、カオリが必要な時はいつでも、カオリを慰め、励ましてくれることだ。
人はその生育過程で、自分を育ててくれた人の像を自分の中に取り込み、生きる指針にする。心理学ではこれを親の内在化と呼ぶ。
内在化された両親は様々な場面で現れ、その人に影響を及ぼす。ある場面で父親がしていた行動を無意識に取り込み、その人も成長後に同じように振る舞うことがある。その人が辛い時に母親がこんな風に慰めてくれたという体験が、成長後にその人が辛くなったときに、自分で自分を慰めることができるようにしてくれる。また、両親が何をしても認めてくれないような場合、その人は自分でも自分を認めることができなくなる。更に叱られ続けた場合、常に自分を罰するようになるのである。
私の見立てでは、両親はカオリに対して常に無反応で、十分な慰めを与えてくれる人ではなかったのではないだろうか。そんな思考で、私は次の質問をする。

「ね、今まであまり聞いたことなかったんだけど、カオリちゃんのお父さん、お母さんってどんな人ですか?」

しばらく間がある。しかしそれはいつものように言葉を頑張って絞り出すための間と言うよりは、考えるための時間であったように思う。

「お父さんは・・・優しい。お母さんはすごく一生懸命私を育ててくれた」

この言葉を聞いて、私は悲しみに近い感情を覚える。
カオリの心がここまで飢餓状態になっている事実は、健全な両親の内在化があれば起きないことだと確信しているからだ。
それでも、カオリは両親を決して悪くは言わない。多分、これは本心から出た言葉なのだろう。子どもは親の愛情を本能的に求めるし、それが得られない場合にも、自分を慰めるために、自分は愛情をもらえていると自分にも他人にも言い聞かせる。だからこそ、とても切なくなるのだ。
優しい父親と一生懸命に育ててくれる母親が彼女に健全に取り込まれなかったのは何が起こっていたのか・・・。
そこで私はこう声掛けをする。

「お父さんとお母さんに優しくしてもらってる自分・・・思い出してみましょう」

マスク越しのカオリの表情は読み取れないが、私は続ける。

「あなたを心から慈しみ、愛してくれるお父さんとお母さん。あなたが寂しい時にはすぐに飛んできてくれて、ぎゅーって抱きしめてくれる」

するとカオリは目に見えて落ち着きを無くす。それまでゆったりとグラウンディングして薪ストーブの温かみに身をゆだねていたが、手がモジモジし始めて、足元も落ち着かなくなる。
私は続ける。

「あなたが嬉しい時には一緒になって心から喜んでくれる。優しい顔であなたの目をしっかりと見て、穏やかな口調で、あなたのことが一番大好きって言ってくれますよ」

私の語りを聞きながら、カオリは明らかに狼狽した様子を見せる。
表情も苦しそうに見える。

「できません」カオリが小さな声で言った。
「想像できないんです」

「ごめんね。動揺させちゃったね。カオリちゃん・・・今僕が話してる間・・・何が頭に浮かんで、想像を邪魔したのかな?」

少し間が空いた後、カオリは再び絞り出すように言った。
「・・・お父さんとお母さんがケンカしてる」
カオリの目が赤くなり、涙を溜めている。
溜まった涙が目から落ちないように・・・必死に堪えているようにも見える。
しかし、それもかなわず、次の瞬間、言葉とともに一気にあふれ出す。

「お母さんが・・・私と一緒に死ぬってお父さんに言ってる」

私は心に刃物を突き刺されたような、どうしようもなく苦しい気持ちになった。
「カオリちゃん・・・とっても悲しかったね。怖かったね」
私は後ろを振り返りティッシュボックスからティッシュを数枚取るとカオリに渡した。
ティッシュを受け取ったカオリは涙を拭きつつ、気持ちを落ち着かせようと呼吸を整えているようだ。
私も胸が苦しい気持ちを感じながら、必死にHRV呼吸を意識して、カオリの呼吸を整えるのを手伝った。
少しして「すみません」とカオリが小さく呟く。

「謝らないで。カオリちゃんは何も悪くないし、今日はとっても勇気のいるお話してくれたよね。今日はいつもより念入りにグラウンディングしようね」

カオリはハッキリとうなずき、私の指示に従って、体を落ち着かせていった。

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