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こころ日誌#45

家出の理由

カオリの失踪事件から週が明け、私はまた日常の業務に追われていた。

カオリが無事に見つかると、あんなに心配したのが嘘のように、そのことを考える余裕がなくなる。

カオリとは別の不登校のケース、発達障害のケース、DVのケースなどなど色々な人と会う中で、山野家が私の中で占める割合は相対的に小さくなっていく。



そして迎えた次の木曜日。

この日は朝からしとしとと降る雨模様だった。午前中の2ケースをこなして、記録を書くと、次に夕方のケースまでしばらく間ができた。手持無沙汰だったこともあるが、11月も半ばに差し掛かり、少しずつ気温が下がってきていることもある。更にこの秋雨だ。私は今シーズン初めて、薪ストーブに火を入れることにした。と言っても、真冬のようにガンガンに焚くというよりは、試運転的な感じだ。

雨の中、傘を差しつつ、外に出ると、すぐ横の薪棚から室内に薪を運ぶ。真冬に一日分の暖を採る量の薪を運ぼうと思うとかなりの重量になるが、今回は数本である。そこまでの重さはない。部屋の中に薪を運び込むと、早速炉の中でそれを組み上げる。

そして、焚きつけ用の細い薪に火を点け、育った火種を徐々に太い薪に移して火を大きくしていく。

それらの作業をしながら、これから会うケースについて思いを馳せていた。



初めて来たときは、一言も話せなかった。それが、何度か会う中で少しずつ話せるようになった。そう思ったら、不意に家族の中核的なトラウマが表出したときは、中断を覚悟した。その危機を、なんとか母親とのつながりで乗り越えたが、その後の面接は膠着していった。

今思えばあの膠着も頷ける。私は母親を変えればあの子も変わると勝手に思い込んでいた。あの子の真の願いにも気づかずに。そして母親に対してうまくアプローチできていると思い込み、「終結とは?」といった哲学的な思考にすら思いを巡らせていた。それが、全くの見当違いだったことが今は分かる。私の傲慢な思考、油断以外の何者でもなかった。私の介入が家庭内での更なる緊張を創り出し、あの子を苦しめる結果になっていることにも気づかずに。

動きが少ないまましばらく回を重ねていったが、転機となったのは、やはり夏の日のあの告白だった。そして、そこから物凄い勢いでケースが動き始めた。父親が登場し、父親からも娘が語ったのと同じ場面が別の切り口で語られた。その後、ケースの構造は目まぐるしく変化していった。それに伴って、あの子は物凄く成長していったように見えたが、その矢先にまさかの失踪。あの子には驚かされてばかりだ。

振り返ると、私は何もしていないどころか、見当違いなことばかりしていたのかもしれない。その度にあの子の健全さが家族を導いていった。

さて、今日はどんな展開を見せてくれるのだろうか。



そんなことを考えている内に炉の中の火は十分に燃え盛っていた。

後は薪を足さなくても、適度な暖かさで客を迎えることができそうだ。



「ピンポ~ン」



しばらくしてインターホンが鳴る。

私はいつものように「は~い、どうぞ~」とできるだけ優しい口調で入室を促す。



――カラン、カラ~ン



ドアベルを鳴らして相談室のドアが開いたと思うと、最初に入ってきたのは隆志、それに続いてとも子、そして・・・カオリだ。



20〷+1年11月14日 カオリ#23 とも子#15 隆志#5 家族合同面接

「あ、今日は3人でいらしたんですね」

面接構造的には夫婦面接と、カオリの個人面接は分けて作っていたこともあり、その構造を捻じ曲げると言う意味で、これもアクティングアウトと言える。

しかし、来てしまった以上仕方がないし、大事なのはここで、私が揺さぶられないことだ。そして、私自身、カオリが登場し、構造が変えられたことに対して、不思議なほど揺さぶられる感じがしなかった。

敢えて問題と言うなら、2人分しか用意していない客用の椅子、歓迎の茶菓子を足さなければいけないことくらいだ。



すぐに普段私が座っている椅子を移動させて、机の向こうに3脚並べる。

そして私用の椅子は備品部屋から簡易の折り畳み椅子を出してきた。



そして、二人分しか用意していなかったお茶とクッキーの用意を、もうひとセット足す。これに関しては複数枚のクッキーを予備としてストックしていたことに救われた。



準備が整うと私は3人に相対して腰を下ろし、「改めまして、よろしくお願いします」

と挨拶した。



隆志が言う。

「突然すみません。今日はどうしてもカオリがついてくると言って聞きませんでした。それで、先週のこともありますし、鈴木さんにも話をさせたいと思いまして連れてきちゃいましたが、大丈夫でしたか?」



初心者の頃なら、アクティングアウトに反応して「今回は大丈夫ですが、今後はそういう場合は事前にご連絡ください」などと無粋な言葉で返していたかもしれない。

しかしこのとき、私は自然と、

「いえいえ。よくお越しくださいました。本当にありがとうございます」

と返していた。



「さて、今日はどなたからお話聞かせていただけますか?」

私は主導権を渡す相手が誰かを確かめる問いかけをした。

「ちゃんと自分で話しな」

隆志がカオリに向かって言う。

それに対して、以前のカオリならモジモジして語りだしに時間がかかりそうなものだったが、この時は割りとすんなりと言葉を発した。



「私、前ここで話したネットの友達に会いに行ったんです」

「へ~、なんか遠いって言ってたよね。どこの人だったんですか?」

「四日市です」

三重県の四日市市のことか。カオリの家から名古屋駅で乗り換えて近鉄電車で行くとして、1時間以上はかかるだろうか。私は車でしか行ったことがないが、中学生が一人で行く距離としては、確かに遠いイメージだ。

「そうだったんですね。ネットの友達に会うのって、緊張するでしょ。前は微妙って言ってたと思うけど、どうして会おうと思ったんですか?」



少し間をおいてカオリが答えた。

「四日市の人だったから」



「・・・?」

よく分からない。四日市に行きたかったということ?

「えっと、なんで四日市の人だったから会おうって思ったんですか?」

分からないので、率直に聞いた。



「お祖母ちゃんの家が近いから」



「あ~、お母さん方のお祖母ちゃんだね。そう言えば三重って言ってましたね」ととも子の顔を見る。

「それで、この子、友達と会った後に、私の実家を訪ねたんです」

とも子が補足してくれた。



「何年かに一度しか行かないように聞いてましたが、よく行けたねぇ」

私は過去に何度か行ったことのある四日市の街並みを朧げに思い返しながら言った。

「駅の名前覚えてたんで。駅まで行けばなんとか行けると思いました」

「へ~、すんなり行けた?」

「すんなりじゃなかったけど、小学校の時に行ったことあったから」

「そうだったんですねぇ。本当、よくたどり着けたよね。すごい大冒険でしたね」



「僕もさすがにカオリがそんなことするなんて思ってなくて。スマホやSNSの使い方とか、家で話すようにってよく言ってるじゃないですか。でも、ウチはそんなの関係ないって思ってたんですよね。本当反省です」

私としては祖母の家を訪ねたというのはかなり大きなポイントだと思うのだが、隆志にとっては現実的な心配の方が比重が大きいのかもしれない。

「そうですねぇ。今時の子達って、SNSでつながって会うのって、割りと普通みたいですからね」



私は隆志の言葉に相槌を打ちつつも、内心では別のことに意識を向けていた。

隆志は父親として現実的な安全を心配している。それは正しい反応だ。

だが、カオリの行動の真意はそこにはない。

ネットの友達に会うというリスクを冒してまで、彼女が本当に会いたかったのは誰なのか。そして、なぜ「今」だったのか。



「今回はたまたま相手の人が悪い人じゃなかったみたいだから、良かったですが」と隆志。



「本当、無事で良かったです」

私は、隆志の心配に同意を示しつつ、しかしやはりもう一度話を戻す。

「でも、今のカオリちゃんの話だと、その友達に会いに行ったって言うよりは、お祖母ちゃんに会いに行った感じなのかなって聞こえたんだけど」

「それもあります」とカオリ。

「そうだったんだね。お祖母ちゃんに会いたくなったんだね」

「それなら何も勝手に行かなくても」

そこでまた隆志が割って入る。

「・・・」

目を伏せて答えないカオリに私は声をかけた。

「カオリちゃん、ここは何を言ってもいい場所だよ」

するとチラリととも子の顔を見たカオリが呟くような声で言う。

「・・・駄目って言われると思ったから」

駄目と言われるのが、ネットの友達に会うことなのか、祖母に会うことなのかはカオリは明確にしない・・・が、それに隆志も言葉を返せないらしい。

場が短い沈黙を迎えた。

会話が途切れると外の雨音が聞こえてくる。やや激しくなってきているのか。。。


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